2011/06/05

復活祭のローソクを消す時期について

 訓令「ウニベルセ・エクレジエ」の翻訳と紹介に集中してしまったら、もう復活節もあと1週間になってしまっていた。久しぶりにカトリック系のニュース通信社Zenit(ゼニット)英語版の名物コーナー、「典礼質問箱」からの翻訳をUPする。今回は2011年5月17日の記事から(原文はコチラ

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質問
 何年か前のことですが、どうもウェールズの全3司教区向けのようですが、司教区年鑑のカレンダーに、ある奇妙な熱心家が復活祭のローソクは昇天祭に消すべきであるが、聖霊降臨祭のノベナの間までは聖域に置くべきであると指示していました。この指示は繰り返されることは決してなかったのですが、ずっと人々を混乱し続けています。これは正確なのでしょうか、オプションなのでしょうか、それとも主の不在を、もっとも主はいまもおられるのですが、示そうとする悪く考案された象徴主義の一つなのでしょうか?助言を頂けると幸いです。(ウェールズ、ハーデン市、S.Mさん)

回答
 この指示は木曜日のご昇天のミサ中、福音書朗読の後で復活祭のローソクを消すという特別形式の慣習にひらめき一部得たのだろうと大いに思います。

 この儀式の中でローソクは栄光を帯び立ったキリストの実在の象徴となります。だから、特別形式において、昇天祭にローソクを消すことは理にかなっています。

 前述のカレンダーの指示と違って、特別形式のルブリカでは、昇天祭のミサの後、聖域からローソクを除きます。ローソクを聖霊降臨祭まで残すという指示は昔の習慣と、ローソクは聖霊降臨の主日まで残すという現在のルブリカにある明確な指示とを調和させようと試みたように見ます。

 実際、現在のルブリカは特別形式よりも一年の間でもっと広く復活祭のローソクを使用することを予見しています。特別形式においては、復活祭のローソクの使用は復活祭から昇天祭の間の40日の間の荘厳なミサに限定されています。この時期の間であっても、死者のためのミサや、例えば祈願節のミサのように紫の祭服を着るようなミサにおいては使用されません。

 一般形式については、復活祭の祝日に関する回勅は以下のように述べています。

 99項 復活祭のローソクは朗読台又は祭壇の傍に置くのが適切である。ミサであれ、朝と晩の祈りときであれ、ローソクは聖霊降臨の主日まで荘厳な典礼の場の全てで少なくとも灯されるべきである。復活節の後、ローソクは敬意を持って洗礼堂の中に安置されるべきである。そうすることで、洗礼式の時、洗礼者のローソクに復活祭のローソクから火を灯すことができる。葬儀の場合、キリスト者の死が彼自身の過ぎ越しであることを示すよう、復活祭のローソクは棺の近くに置くべきである。復活祭のローソクは復活節以外では他の方法によって聖域で灯すことも、安置することもすべきではない。

 使用する機会をこのように広げたので、大部分の小教区では、復活祭のローソクは毎年新しくするという規則は実用的な必要性のあるものになっています。特別形式ではこの点に関してはそれほど求められません。

 ローソクは復活節の「荘厳な典礼の場の全てで少なくとも」灯されるべきであるという指示の意味はあらゆるミサや聖務日課の共同体の祈りで灯すことまで求めていないということです。しかし、神学校や修道会のようにある種の荘厳さで典礼が恒常的に祝われ、洗礼や葬式が滅多にない共同体では特に、この選択は除外されていません。

以上
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(感想)
復活祭のローソクから火をもらい、受洗者のローソクに火を渡す瞬間が私は好きだ。「世の光」として新たに歩むことを意識させてくれるからだ。時々、復活祭のローソクが復活節が終わってからも、朗読台の近くに残されている教会をみるが、今回の解説によれば、これは誤用ということになるのだろう。火が灯されないローソクがそのまま残っているのは確かに見てくれが悪い。
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