2011/09/02

交唱とローマ昇階唱について

カトリック系のニュース通信社Zenit(ゼニット)英語版の名物コーナー、「典礼質問箱」からの翻訳をUPする。今回は聖歌に関する質問で、2011年7月19日の記事から(原文はコチラ)。

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質問
 今、ミサの入祭唱と拝領唱を英語に翻訳し、5線譜標記するプロジェクトに取り組んでいます。どんな歌い手でも、たとえ単旋律の理論や伝統に暗い人でさえ、これらの美しい宝にある音楽的な真理と霊的な力を見出すことができること、これが私の望みです。作業の中で、現在アメリカで用いられているミサ典書にある式文と『ローマ昇階唱(Graduale Romanum)』のそれとに多くの不一致があることに気付きました。例えば、『昇階唱』における典礼年A年の復活節第6主日の拝領唱は「Non vos relinquam orphanos(わたしはあなた方をみなしごにしておかない)」ですが、アメリカのミサ典礼書では「Si diligitis me(あなた方はわたしを愛しているなら)」となっています。ミサ典礼書ではいずれの典礼年においても、この拝領唱を使っています。この場合、両方の式文は復活節第6主日の福音(ヨハネ14章15~21節)に見出すことができますが、典礼年B年とC年では当てはまりません。そこでは『昇階唱』は福音書から引用していますが、「Si diligitis me」はそうではありません。『昇階唱』掲載の式文はほとんど常にミサ典礼書のものよりも聖書や特定のミサのテーマにより関連のあるものです。もっと他の例を引用することもできますが、こうなった理由と顛末にとても関心があります。新しいミサ典礼書ではこれが正されているのでしょうか?(アメリカ、シカゴ市、E.Lさん)

回答
 新しい翻訳でもまたこの日曜日のために「あなた方は私を愛しているなら」がありますが、それはローマミサ典礼書の規範版に対応しているためです。伝統的にラテン語のミサ典礼書では、一般的に福音書のテーマに関連した拝領唱を一つだけしか載せていません。

 『ローマ昇階唱』はミサで用いられる聖歌を内容とする公式の典礼書です。『昇階唱』はミサ典礼書にあるテキストだけに限定されることなく、様々な音楽の選択肢を幅広に提供しています。

 この二つの書籍にある不一致、そう呼ぶことができるのであれば、それはおそらく出版された時代の違いのためでしょう。『昇階唱』は1974年、つまりミサ典礼書と新しい3年周期の朗読を導入した朗読集が出てから4年後に出版されました。『昇階唱』の編集者はそれ故に各年の朗読に適した新しい歌を提供できるだけの十分な時間がありました。他方でミサ典礼書のテキストはA年に限っていました。

 選択肢についてはローマミサ典礼書総則の48項と87項で概略されています。

48 入祭の歌は聖歌隊と会衆が交互に、あるいは先唱者と会衆が交互に、あるいは会衆または聖歌隊のみが全部を通して歌う。アメリカの司教区においては入祭の歌には4つの選択肢がある。(1)ミサ典礼書の交唱又はローマ昇階唱に記載された曲または別の曲をつけたローマ昇階唱の詩編(2)簡易昇階唱の季節の交唱と詩編(3)詩編と交唱を内容とする別の聖歌集で司教協議会又は司教によって認可されたものの中の聖歌(4)同じように司教協議会又は司教によって認可されたもので、典礼に適当な歌。

 入祭に当たって歌を歌わない場合、ミサ典礼書の中にある交唱を会衆、または信者の幾人か、あるいは朗読者が朗唱する。そうでなければ司祭自身が唱える。その場合、司祭は初めの勧めのことば(31参照)としてそれを適応させることもできる。

87 アメリカの司教区では拝領の歌のために、4つの選択肢がある。(1)ミサ典礼書の交唱又はローマ昇階唱に記載された曲または別の曲をつけたローマ昇階唱の詩編(2)簡易昇階唱の季節の交唱と詩編(3)詩編と交唱を内容とする別の聖歌集で司教協議会又は司教によって認可されたものの中の聖歌、答唱又は韻律の形で編集されている詩編を含む(4)上記86と調和のとれた典礼に適当な歌。

聖歌隊だけ、または聖歌隊もしくは先唱者と会衆とによって歌われる。歌われない場合には、ミサ典礼書にある交唱を、信者によって、または幾人かによって、あるいは朗読者によって朗唱することができる。そうでなければ、司祭自身が、拝領してから信者にキリストの体を授与する前に唱える。


 上述の通り、典礼規則は拝領の歌について、『昇階唱』またはミサ典礼書のどちらかに用いられているものを含めて、様々な選択肢を許容しています。こうした多様性があるため、ミサ典礼書自身に別の交唱を載せることは不必要であると考えられたのでしょう。しかし、3年周期に合わせた別のものを用意しているミサ典礼書の翻訳もあります。

 音楽家が他所から歌を導入すると言う安易な方法ではなく、公式の典礼のテキストに優先順位をつけているのをみてたいへん嬉しく思います。このようにして会衆はミサで歌うのではなく、ミサを歌うことを熱望できるのです。

 クリストフ・テイエッツェ著『典礼暦年のための入祭唱』(2005)では、入祭唱の歴史の素晴らしい研究と、ミサで使用するために入祭唱と韻律を踏んだ詩編を組み合わせるという提案が行われています。

以上
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(感想)
 今回の記事の中でマクナマラ神父の「会衆はミサで歌うのではなく、ミサを歌うことを熱望できる」という言葉が大変印象に残った。世俗的で抒情的な曲ではなく、カトリックのミサが何より聖書的であるなら、入祭唱、奉納の歌、拝領唱で用いるべきは聖書の詩編や福音書からの章句であると思う。それもその日のミサの福音やテーマと関係のあるものがいい。

 感傷的な歌詞に平易な曲をつけた聖歌が目立つ昨今、グレゴリオ聖歌のように祈りがそのまま歌となるような、日本語の聖歌の登場を願ってやまない。
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