2016/10/30

列福式まであと100日

ユスト高山右近の列福式まであと100日。
右近の「長い忍耐がいる殉教」(列福申請書の表現)を思い起こしたい。
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2016/10/03

高山右近列福式は天使ミサ

 高山右近列福推進委員会公式facebookによると、来年2月の高山右近の列福式はグレゴリオ聖歌による天使ミサとのこと。これは全く予想外だったので、素直にうれしいニュース。
2016/01/11

特別形式のミサを普及するために必要なこと

 モンシニョール・チャールズ・ポープ(米国ワシントン(DC)大司教区司祭)が『ナショナル・カトリック・レジスター』誌に投稿した記事「伝統ミサの将来に関する緊急警報」(リンク先は英語)が議論を呼んでいる。

 記事の内容は次のとおりである。ワシントン大司教区では伝統ミサ(特別形式のミサ)に参列する人々は5か所で合計千人程度(同大司教区のミサ参列者の0.5%)でピークに達している。伝統ミサが小教区に戻れば、小教区のミサは参列者で一杯になるだろうという期待があったが、それは全く現実的でない。参列者の数が少なければ、伝統ミサの普及は司教の優先順位に載らなくなる、伝統ミサを行うための活動、施設といったものを維持することができなくなる。参列者の数を増やすためには、ただ伝統ミサを捧げるだけでなく、伝統ミサを愛する人々が魅力的で、積極的で、福音宣教に熱心に努める必要があると。

 私はこの記事を読んで共感することが多かった。ウナ・ヴォーチェ・ジャパンが東京で活動を始めて、5年目に入り、若葉の修道院での毎週のミサは席が足りないほどの人気だ。だが、それでも参列者は60人にも満たず、特別形式のミサだけ行うような小教区をもてるような規模感ではない。司祭は相変わらず足りない。参列者がピークに達しているとは感じないが、日本においても特別形式ミサを取り巻く環境は決して楽観できる状況にはないと思っている。

 トリエントミサの参列者を増やすために何ができるのかを考えた場合、自分は以下のことを目標としようと思う。
①月に2回は侍者の奉仕をすること
②可能な限り、家族でミサに与ることをあげること
③伝統ミサに参列した人に「ようこそ」と「また来てください」と必ず声掛けをすること
④①~③を微笑みをもって行うこと
2013/03/23

特別形式のミサ式次第

 ウナ・ヴォーチェ・ジャパンでは特別形式のミサ(いわゆるトリエントミサ)の式次第を発行したので、宣伝も兼ねてご紹介する。(詳細はココをクリック

 以下はそのサンプル画像である。ミサ式次第中の写真は昨年の春にラファエル植田勝行神父(王たるキリスト宣教会)が京都の北白川カトリック教会で捧げられたミサのもの。

表紙
ミサーレ表紙(0323)

階段祈祷のページ
階段祈祷ページ(0323)

 編集スタッフの一員としてこのミサ式次第作成に参加した。編集作業は何度も校正をおこなうなど大変であったが、特別形式のミサを学ぶ上で大変勉強になった。ラテン語を一単語ずつ確かめながら入力することで祈りを覚えることもできたし、タイプしながら心が自然と落ち着くということも経験できた。古の写本をする修道士の気分を少し味わえた気がする。

手前味噌になってしまうが、このミサ式次第の優れた特徴は以下の3点となる。

1 著作権者、裁治権者の了解をえて発行されたミサ式次第

 このミサ式次第のラテン語部分の日本語訳はバルバロ神父『毎日のミサ』(1955年)を採用している。『毎日のミサ』に関する著作権はまだ有効であり、このミサ式次第は現在の著作権継承者であるサレジオ会から正式に承諾をえたものである。また出版の前には岡田東京大司教からも事前に確認と、出版の了承を得ている。

 日本語・ラテン語対訳のミサ式次第はインターネットで無料配布や一部書店で売られているようだが、寡聞にして、上記のような著作権者の許可、日本の裁治権者の了解を得られているのか不明なものが多い。そういう意味でウナ・ヴォーチェ・ジャパンのこのミサ式次第は安心して使ってもらえるものと思う。

2 1962年版のミサ典書に完全準拠

 前掲のバルバロ神父の『毎日のミサ典書』は1950年代のミサ典書に依っているが、このミサ式次第は福者教皇ヨハネス23世による修正を受けた1962年版ミサ典書によっている。おそらく、1962年版のミサ典書に基づくラテン語、日本語対訳のミサ式次第はウナ・ヴォーチェ・ジャパンのミサ式次第が初めてのものになる。

3 長期間の使用に耐える仕様

 長く使ってもらえるように、マットコート紙を使うだけでなく、カラー刷りにし、フォントの大きさも読みやすいように大きくしている。


 残念な点としてはこのミサ式次第はウナ・ヴォーチェ・ジャパンが主催するミサや黙想会限定配布となっている。通販や一般の本屋での販売はこのミサ式次第の反響如何では実現するかもしれない。伝統の回復は一歩ずつ、「急がず、休まず」で進めていくものなのだろう。




 
2012/01/21

告白の祈りで胸を叩くことについて

 カトリック系のニュース通信社Zenit(ゼニット)英語版の名物コーナー、「典礼質問箱」からの翻訳をUPする。今回はミサでの動作に関する質問で、2011年12月13日の記事から(原文はコチラ)。
* * *

質問
 英語版ローマミサ典礼書の新しい翻訳で、告白の祈りの箇所に特定すべきものが欠落していることに疑問を感じています。ミサ典礼書によれば、告白の祈りを唱えるものは「わが過ち、わが過ち、わがいと大いなる過ちによって(”through my fault,through my fault, through my most gravious fault”)」と言う時に胸を叩くこととなっています。わたしは公会議前には三度胸を叩いていたことを覚えている年齢ですが、この慣習がローマミサ典礼書を使う他の言語グループによって、カトリック教会の他のどこかの場所で保持されているのかどうか気になっています。この慣習は一般的なものでしょうか?それとも新しいミサ典礼書で明確に回数が特定されていないのは、一度だけ胸を叩くことが望まれていることをただ意味しているのでしょうか?(米国、ペンシルバニア州ガリツィン、A.L.さん)

回答
 もとのラテン語の典礼規則には「自らの胸を叩き(”percutientes sibi pectus”)」とあり、はっきりと回数の特定が欠けています。他方で特別形式では胸を三回叩くべしと明記されています。

 しかし、この典礼規則を翻訳する際、小さいが、しかしはっきりと分かる変化が加えられています。以前の翻訳では、過ちを1度だけ告白し、信者は「その胸を叩く(strike their breast)」べきだとしていました。従って、叩く回数は1回と特定されていました。現在の翻訳では、過ちを三度告白する前に、「胸を打ちながら、唱える(striking their breast, they say)」となっています。

 ここで動名詞が用いられていること(訳注:訳文にstrikingが用いられていること)は継続した動作を示していますから、典礼規則に数が明確に示されていないなら、継続する動作を示す表現が指し示すところは、胸を叩く回数は個人的な過ちを告白する回数に対応しているのだと思います。これは、どんな場合でも大部分の人にとって自然と納得できることでもあると思います。

 これはスペイン語やイタリア語を使用する国では慣習によって確認されています。これらの国では罪の告白のときに三度胸を叩くことは常に保持されています。スペイン語のミサ典礼書は典礼規則を「golpeandose el pecho,dicen:」と翻訳しており、それは1回又は複数回を意味しています。これらの国では司祭も信者も胸を三度叩くことは広く行われている慣習でもあります。

 第二ヴァチカン公会議は「不要な繰り返し」の削除を求めていますが、全ての繰り返しが不要であるとは言われていないはずです。意思疎通の形式には「重複性」、つまり外側からの干渉を克服し、重要性を強調するために厳密に必要とされているよりも、意味を伝える動作を繰り返すこと、と専門的に呼ばれているものを必ずもちいるものがあります。

 告白の祈りで言葉と動作を三度繰り返すことはそのような場合に当たるのでしょう。以前の翻訳では胸を叩く動作を省くこと又はその意味に十分関心を示さないことがかなり容易でした。三度の繰り返しはその重要性を強調し、私たちが唱えていることの内面的な意味に集中することを助けてくれます。

 しかしながら、上述の議論は完璧なものではありませんし、一度胸を叩くことは典礼法規の有効な解釈でもあるということは認めなければなりません。

* * *
(感想)
 日本における告白の祈りはラテン語規範版のそれに大きく変更を加えているのが現状である。動作の点でいえば、今回話題になっている胸を叩くという動作が全くない。さらに祈りの言葉から「わが過ち、わが過ち、わがいと大いなる過ち」が削除されている。

 ミサの目的は罪の赦しを神に願うことであると、聖トマス・アキナスがどこかで定義していたと思う。だから、告白の祈りは単に外面的でなく、内面的に深められるべきものだが、今の日本語の告白の祈りは余りに簡素化しすぎて、注意を相当集中させていないと、あっという間に過ぎ去ってしまう。

 私の知っている司祭は工夫して、告白の祈りの中で、「私は思い、言葉、行い、怠りによってたびたび罪を犯しました」と唱えた後に長いポーズを取り、沈黙の時間を作り、罪の自覚を促そうとしている。初めは儀式が中断した感じがしたが、後からその司牧的な配慮に感心したものである。

 特別形式のミサで告白の祈りで「mea culpa,mea culpa, mea maxima culpa」と唱えながら、三度胸を叩くたびに、本当に自分は同じ誤りを繰り返したのだなぁと感じることがしばしばある。そして三度胸を叩くミサを一度でも経験すると、通常形式のミサの告白の祈りでも同じように心を静め、内面に向かうことができるのが不思議だ。
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