2011/07/23

侍者服と祭壇布の色について

 カトリック系のニュース通信社Zenit(ゼニット)英語版の名物コーナー、「典礼質問箱」からの翻訳をUPする。今回は2010年2月9日の記事から(原文はコチラ。)

質問1
 侍者と大人の奉仕者が司祭や助祭の祭服とあった色のスータンを着ることは今は適当なのでしょうか?私は今日行った教会で、大人の奉仕者(朗読者)が白のアルバではなく、緑のスータン(司祭と助祭の祭服に合わせるため)に、白色の短衣を着て、上から緑色のケープを羽織っているのを見つけました(この小教区は色を合わせるためにあれこれ買ったのかと思うと、ゾッとしました)。まるで聖公会のようです。現在、こういったものは「流行」しているのでしょうか?奉仕者が白のアルバとチングルム以外の服を着ることが認められているのはどこでしょうか?(米国オクラホマ州、バートルズビル市、K.S.さん)

質問2
 祭壇布はいつも白色ですが、ミサ聖祭や他の典礼のために祭壇に別の色の布を用いることは許されているのでしょうか?(インド コヒマ市、R.G.さん)

回答
 これらの質問は装飾に関するものなので、これら2つを一緒に回答します。

 ローマミサ典礼書総則119項cと339項は現在の規定を簡潔に要約しています。119項では以下のように書かれています。

「香部屋において、司祭、助祭及び他の奉仕者の祭服(参考、337項から341項)は様々な儀式の形式に応じて準備されなければならない。(中略)c.他の奉仕者についてはアルバ又は正式に法で認められた祭服を用意する。アルバの形態により必要でない場合を除き、アルバを着るものは全てチングルムとアミクトゥスを使用すべきである。」

 これらの規定はアメリカ合衆国司教協議会による1994年6月の指針の最新版により、最近、少し緩められました。

「この指針は司教区で作成中の指針の土台として用いても構わない。6番『侍者、祭壇奉仕者、朗読者、その他の信徒奉仕者はアルバ又は他の適当な祭服又は品格のある服装を着用して構わない(ローマミサ典礼書339項参照)。全奉仕者は同じ祭服を着用すべきである。』」

 アルバとチングルムはどこでも使用して構わないとなっていますが、普遍的規定及び各国ごとの規定は共に、意図的に現地の習慣に門戸を開いたままにしています。これらは地域によって様々であり、各司教は自身の司教区向けに規則を定めても構いません。

 大部分の地域では、大人の奉仕者は、アルバ又は一般には白又はオフホワイトの同じような服を使用しています。スータンと白い短衣を使用する地域もあります。子供の奉仕者ではもっと様々です。例えば、イタリアでは大部分の子供の侍者は白または赤のスータンに白い短衣をを使用しますが、「タルチシアン」を使用する地域もあります。これは一種のアルバで、色はオフホワイトで肩から足元にかけて赤い二本の縦じまが走り、古代ローマのチュニックを思い起こさせるものです。

 ポーランドやバルト海諸国の一部では、大人も子供も普段着の上に白い短衣だけをまとってミサ仕えをしているのを見ることがあります。

 私は緑色のスータンを見たことは決してありませんし、奉仕者の祭服を典礼の季節に合わせようとする努力も見たことがありません。これはある地域で確立された慣習なのか、新しい試みかのどちらかです。これが新しい典礼の流行であるかは大変疑わしいと思います。主任司祭に疑問をぶつける前に規則について司教区の典礼に関する部署に相談することが必要でしょう。

 2番目の質問に関して、ローマミサ典礼書総則304項の米語訳にある以下の規定は、アメリカ合衆国での適用に特に向けられているものですが、多くの他の地域でも等しく適用できると思います。季節ごとに色を変えるアンテペンディウム(又はフロンターレ)はラテン典礼において昔から続く慣習であり、典礼の季節感を示すことを助けるために使用することが許可されています。

 主の記念を執り行うことへの敬意から、またこの記念が行われる祭壇の上で主の御体と御血が奉献される宴席への敬意から、白い布が少なくとも一枚あるべきであり、その形状、大きさ、装飾は祭壇のデザインとあったものにする。アメリカ合衆国の司教区においては、祭壇布に加えて、他の布が使用される場合、のある白い布が少なくとも一枚あるべきである。食卓を覆う一番上の布(つまり、祭壇布自身)が常に白色であるならば、他の布の色はキリスト教的尊敬又は祝祭の意義を持つ色を用いても構わない。

以上

(感想)
 侍者服については小教区ごとの特色が出て、その共同体の典礼に対する考え方や美意識が分かるので見ていて面白い。修道服を似せた侍者服を着る共同体もあれば、典礼色に合わせたリボンをチングルム代わりに着用する共同体もある。侍者の服装が見苦しい共同体は、やはり典礼もお粗末に感じるのは私だけだろうか。
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2011/07/02

ロザリオをネックレスとして着用することについて

 カトリック系のニュース通信社Zenit(ゼニット)英語版の名物コーナー、「典礼質問箱」からの翻訳をUPする。今回は2011年6月14日の記事から(原文はコチラ

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質問
 ロザリオをネックレスとして着用している人々を見たことがありますし、宗教のクラスである5年生の子供にそれは罪かどうか尋ねさせたことがあります。私は彼女にそれ自身が罪とは思わないが、ロザリオは素晴らしい祈りであり、聖母に最も嘉されているものだから、ネックレスとして着用することは尊敬を払ったものではないし、(ロザリオの祝福の有無にかかわらず)あまり敬虔でもないと思うと答えました。すると女の子はすぐに私のロザリオブレスレットについて「ブレスレットのようにそれを着けるのはどうなの?」と尋ねられました。装飾具では今日至るところにあるように思える十字架やロザリオ「もどき」があるにで、これはいい質問でした。私たちは少女たちに何と答えたらよういでしょうか?(米国カンザス州、レブンワース市、J.M.さん)

回答
 このトピックに関する規則に最も近しいものはカトリック教会法1171条に見出せます。

 信心又は祝福によって聖なる崇拝のために取っておかれた聖なる品々は敬意を持って取扱わねばならない。たとえその品々が個人に属するものであっても、それらは世俗的又は不適切な使用に任せるべきではない。

 おそらくこの規定はロザリオというよりむしろ、カリスや祭服といった典礼における崇拝に用いられる聖なる品々を主に言及しているので、この規定は必ずしも今回のケースに適用できるわけではないのでしょう。同時に、聖なる品々を敬意を持って取扱うべきであると暗示していることはロザリオや、十字架、メダイ、同様の品々にも論理的に拡張することができます。

 また、聖なる品々を着用することはそれを世俗的又は不適切な方法で使用することと同じではありません。実際、多くの修道会ではロザリオを修道服の一部として、通常は帯から吊るして、着用しています。信心の目的で信徒がロザリオを着用したという歴史的な事例も幾つかあります。例えば、聖ルイ・ド・モンフォールはその著作『ロザリオの神秘』の中で、ガリシアとレオンの王アルフォンソ6世の生涯からのエピソードにおいてこの習慣の肯定的な結果を示しています。

 私はこの問題に答えることの鍵は聖パウロの中に見出せると考えています。

 ですから、あなたがたは食べるにしても、飲むにしても、また何かするにしても、すべて神をほめたたえるためにしなさい(一コリント 10章31)。

 言いかえると、キリスト者の人生において無関心又は無関係な行動は一切あるべきでないということです。

 もし信仰の表明として、又はロザリオを祈るための気づきとして、又は「神をほめたたえるため」の同様の理由ゆえにロザリオを着用するならば、これに反対するものは何もありません。ロザリオをただ宝飾品として着用することは敬意を払ったものではないでしょう。

 この後者の点はロザリオを首周りに着用する際、気をつけなければならないことです。何より、未知というわけではないのですが、それはカトリックの共通の習慣ではありません。

 第二に、比較的最近、ある議論の分かれる公人がネックレスとして、必ずしも「神をほめたたえるため」ではなく、ロザリオを着用するというファッションを大衆化したことがあります。米国やそのほかの場所の地域の中には、首周りにロザリオを着用することが、ギャングと関係あることを識別する印になっているところもあるようです。

 それ故にあるカトリック信者が良い目的のために首周りにロザリオを着用しても構わないのですが、信者は自らが属する文化においてこの習慣が肯定的に理解されるのかをよく考えるべきです。誤解が生じることがありうるなら、この習慣を避けることが望ましいのでしょう。

 同時にカトリック信者として私たちはもし他の外的要素が他の方法で明確に示していないなら、ロザリオを着用する人々の良い意向を想定すべきです。

 ロザリオのブレスレットやリングについても、この場合は意義に関して混乱の危険は少ないのですが、同じ理由付けがも守られます。それらは決してただの宝飾品ではなく、信仰のしるしとして着用されています。

 いくつかの情報源によると、小さい一重のロザリオ・ブレスレットまたはコンタツは容易に隠せ、望ましくない関心を引き起こさずに用いることができたので、迫害の時代に発達したそうです。これらは特に第一次世界大戦の間、前線のカトリックの兵士の間で人気となりました。

 ロザリオを眼に見える形で着用することよりずっと重要なことは、祈りのために、宣伝も含めて、ロザリオを実際に使用することです。そうすればそれは真に「神をほめたたえる」ためになされたことととなります。

以上
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(感想)
 キリスト信者の身だしなみについて、マクナマラ神父は二つの基準のバランスが大切だと説明している。つまりその身だしなみが「神をほめたたえる」ためなのかどうかという主観的な基準と、その身だしなみが所属する文化の中で肯定的に見られているかどうかという客観的な基準とのバランスで判断することが必要ということだ。私には大変参考になったので、今回この記事を翻訳した次第である。
2011/06/22

カズラの上からストラを着ることについて

 カトリック系のニュース通信社Zenit(ゼニット)英語版の名物コーナー、「典礼質問箱」からの翻訳をUPする。今回は2011年6月7日の記事から(原文はコチラ

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質問
 私は習慣としてカズラの下にストラを着るようにしています。というのも私はそう教わりましたし、常に指示事項の中にそれを確認してきたからです。しかし、私の国では、ストラは一般的にカズラの上から着用しています。この習慣に従っている司教もいます。何度か、私のストラの着方は間違っていると言われたこともあります。私たちが使用しているカズラは「ゴシック・カズラ」であると私に説明してくれた人もいました。ゴシック・カズラは前面に特別な装飾がなく、一方で付属のストラには特別の装飾が施されているものです。このことがカズラの上からストラを着る理由のようです。このことに関してより詳しいことを調べましたが、何も見つけられませんでした。もし私が間違っているなら、私は自分の習慣を変えるつもりです。これについて何か指示はあるのですか?(スリランカ、コロンボ市、P.V.さん)

回答
 教会の最新の規則によれば、カズラの下にストラを着用するというあなたの習慣は正しいです。ローマ・ミサ典礼書総則337条によれば、「ミサ聖祭やミサ聖祭と直接つながる他の典礼行為を行う司祭にふさわしい祭服とは、他に指示がなければ、アルバとストラの上から着用するカズラ」です。

 カズラの外側にストラを着用することは1970年代から1980年代初頭にかけて流行しましたが、今や完全にすたれています。特別な祭服、例えばアルバとカズラが一体化したもので、必然的に外側にストラを着用するもの、を採用するために聖座から特別な許可を得ている国もあります。しかし、この醜く不格好な祭服は決して流行ることはありませんでした。

 伝統的にストラは司祭の権威のしるしとして、他方でカズラは愛徳のしるしとして見なされています。それ故、ストラをカズラの下にする理由は愛徳が常に権威を覆わなければならないからだとしばしば言われています。

 この理由付けが真正であろうとなかろうと、ストラとカズラの相対的な位置関係はゴシック様式又はローマン様式の使用とも、乃至は祭服の装飾とも全く関係ありません。実際、あらゆる歴史的な祭服の様式において、ストラはカズラの下に着用されています。外側向きのストラは最近の一時的な流行であり、いまや普遍的な典礼規則に反するものになっています。

 何世紀にもわたり、多くのカズラの様式がありました。典礼で使用されるカズラの初期のものはいわゆる修道士様式に似ています。つまり、切り抜かれた楕円形の祭服で、しばしば司式者の靴の上にまで長く垂れ、たまにフードが付いているものです。現代の修道士様式のカズラは、楕円よりも四角にカットされる傾向があります。

 このカズラの様式は自由に使うためには両腕を寄せる必要があったので、12世紀頃から、動きがしやすいように両脇が徐々に短くなりました。このようにしてゴシック・カズラは成立しました。この様式では肩から地面に近い端にかけて徐々に先細くなっており、他方で両側の長さは均等です。セミ・ゴシック様式は同じようなのですが、少し短いものです。大部分の現代のカズラはしばしば肩から地面にかけてゆるやかに丸くなっているものや、長方形又は正方形にカットされるものがありますが、これら二つの様式にヒントを得たものです。

 16世紀以降、カズラの大きさと形は前と後の長さをさらに短くし、腕が完全に自由に動かせるようになります。これはとりわけある特定の動き、例えば手を合わせることや祭壇に香を振ることといったもの、をやりやすくするためになされました。この種のカズラはしばしばキリスト教のシンボルで美しく刺繍が施され、高価な材質、例えば絹、金や金襴が使用されているのでかなり固く重いものです。この様式の中にも、幾つかのスタイルの違いがあります。

 最も一般的なもの一つにローマン様式、またはフィドルバック様式のカズラがあります。これは長方形の前面と、かすかにバイオリンの形に似た背面をもったカズラです。スペイン様式のカズラはさらに短く、その丸みを帯びた前面と背面から、時に「ギター型」カズラと呼ばれる特徴的な形をしています。ドイツ様式は単純で、長方形の前面と背面があるだけです。

 20世紀の初頭に初期の形、特にゴシック様式に回帰する傾向が見られました。最初はこの習慣は抵抗に遭い、礼部聖省は1925年の質問に対して明確に回答しましたが、司教の多くはそれを慎重に扱ったうえでの賛成と解釈しました。それ故、この復興した様式はゆっくりと教会に広がりました。聖省は1957年に司教たちに文書を送り、カズラの古い様式の使用に関する決定は司教の賢明な判断に委ねられることになりました。

 現在の規則は事実上あらゆる歴史的な様式のカズラの使用を許しています。

以上

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(感想)
 今回の記事を翻訳するまで、一般形式のミサではストラをカズラの上に着用するものと私も思い込んでいた。日本の教会では、マクナマラ神父の言うところの、「普遍的な典礼規則に違反する」習慣が定着しているが現状であるし、それが間違いであると指摘する声も皆無だ。今回の記事をUPすることで、少しでも多くの人が正しい祭服についての知識を知ってもらえるといいと思う。
 
 最後に各様式のカズラの画像を紹介する。違いが分かってもらえるだろうか?

修道士様式カズラ
修道士式カズラ

ゴシック・カズラ
ゴシック・カズラ

ローマン・カズラ
ローマン・カズラ



2011/03/26

紙製のプリフィカトリウムは問題ない?

 カトリック系のニュース通信社Zenit(ゼニット)英語版の名物コーナー、「典礼質問箱」からの翻訳をUP。今回は2010年1月26日の記事から(原文はコチラ

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質問

 私たちの主任司祭はリネン製のプリフィカトリウムの代わりに「高品質の」紙タオルを使っています。これによって、共同体の一部に強い困惑を生じています。おそらく紙タオルは週に一度燃やされているようです。この点について、主任司祭はこの慣習を変えたくないようです(主任司祭と典礼担当の司祭が交渉中)。この慣習は合法でしょうか?少なくとも、主を侮辱しているように見えますし、最悪の場合、聖体の価値に間違っているだけでなく、正確でないメッセージを与えるように思えます。(米国ニューヨーク州、T.A.さん)

回答

 ローマミサ典礼書総則には祭壇リンネル(訳注:祭壇周りで用いるリネン製の祭具一般をさす言葉)の材質について詳細な指針がありませんが、348項に一般原則を示しています。
 
 348 特定の素材を指定されている祭器及び祭服とは別に、他の備品類で厳格に典礼での使用を予定しているもの、又は他の目的のために教会に受け入れられているものについてはそれぞれの用途にふさわしく適したものであるべきである。 

 少なくともいえるのは、紙タオルは主の御体に触る用途に「ふさわしく適したもの」か、紙タオルを教会の典礼に従って祝別できるものなのか、議論の余地のあるところです。

 指針『贖いの秘跡』(訳注、2004年に典礼秘蹟聖省から発出)の57項及び120項にこのテーマについて詳細に言及している個所があります。

 57 特に主日の礼拝において(中略)規定に従って、威厳があり清潔な祭壇、祭服および祭壇リンネルが常に備わっていることはキリスト信者の共同体の権利である。
 
 120 祭壇に用いられる祭壇リンネル、特に御聖体・御血を受け取るものは常に清潔に保たれ、伝統的な方法で洗濯されるよう主任司祭は注意を払うべきです。伝統的な洗濯方法として、手づから下洗いした水を教会のサクラリウム(訳注:香部屋等に備えられている専用の流し台のこと)または適切な場所の地面に注ぐことは賞賛すべきことである。下洗い後のの洗浄は通常の方法で行うことができる。


 この指針では祭壇リンネルは適切な布で作られていることを明確に想定しています。また御聖体・御血に触れるもの全てに払われなければならない尊敬と注意を示しています。

 先ほどの文書ほど法的権威のないものですが、米国司教協議会の文書に、このテーマについて公式の文書類を非常に簡潔にまとめたものがあります。簡潔で使い勝手がいいので、全文を引用する価値があります。

 近年、典礼局は祭壇リンネルの管理・洗浄について複数の照会を受けているところである。以下の文書は2001年3月19日の典礼委員会で採択されたものであるが、祭壇リンネルを管理する人々に情報を与えるものである。

 典礼のために用いられるものは何であれ、それらが受ける祝別ゆえに、かつそれらが果たす用途ゆえに、ある聖的な性質を帯びる。であるから、感謝の祭儀の中で祭壇で使用する祭壇リンネルは聖なる神秘の準備と執行に使用されるのだから、注意深く敬意をもって取扱われるべきである。
 
 この簡潔な声明は典礼で用いられるがゆえに特別の尊敬を受けるに値する祭壇リンネルを尊敬を持って取扱うことが重要であることを反映している。これらの祭壇リンネルは派手でけばけばしいことは避けなければならないが、とはいえ美しく上質のもので作らるべきである。祭壇布、コルポラーレ、ブリフィカトリウム、マヌテルギウム及びパラは決して紙でなく、吸収性のある布で作られるべきである。

 祭壇リンネルは典礼に使用する聖具の祝別儀式書に従って、適切に祝別される。そのような聖具を多く祝別することはミサの中で、または信徒が参加しても構わない、独立した祝別式の中で執行されてもよい。

祭壇布について

 祭壇がキリストの生きた石であるように、祭壇布は主の記念と御体をお与えになる祝宴を祝うことを畏れ敬いながら、ちょうど祭服が司祭や奉仕者を荘厳に飾り立てるのと同じように、祭壇の尊厳さを増し加えるに美と形式によって使用される。とはいえ、そのような祭壇布は実用的な役目ももち、御血や他の聖なる要素からこぼれたものは何であれ吸収できなければならない。だから、祭壇布の材質は吸収性があり、容易に綺麗にできるものでなければならない。

 襞をとったもの又はフロンターレの形をとっている祭壇布もあるが、その形、サイズ、装飾は祭壇の様式に合わせるべきである。もし祭壇布が御血でしみができていないなら、サクラリウムでそれを洗う必要はない。しかしながら、注意を払い、祭壇布の美しさを保つために適切な洗浄法が用いられるべきである。祭具類や祭服、その他典礼で用いる備品を管理するの係の者が祈りを添えて仕事を行うことが適当である。

コルポラーレについて
 聖体や御血をいれた聖具は常にコルポラーレの上に置かねばならない。コルポラーレは助祭又は他の奉仕者によって、奉納と祭壇の準備の中で、広げられる。共同司式者が祭壇から聖体を拝領する場合、コルポラーレは全てのカリス及びパテナの下に置かれる。最後に、コルポラーレは脇机の上に、ミサの後に清めるために置かれている祭具類の下に置くことが望ましい。

コルポラーレの役割の一つは聖変化したホスチアのどんな小さなかけらをも受け止めることなのだから、祭具の間で聖変化したホスチアを必ず、コルポラーレの上で行うよう注意を払うべきである。コルポラーレは白色で、少なくとも主となるカリス及びパテナがその上に完全に置くことができるだけの十分な大きさをそなえるべきである。必要であるなら、一枚以上のコルポラーレを用いてもよい。コルポラーレの材質は吸収性があり、容易に洗うことができるものであるべきである。

聖体拝領が終わった後、コルポラーレの上に残った聖体のどんな小さなかけらもカリスの洗浄の過程で消化されるべきである。

 コルポラーレを洗う場合、まずサクラリウムで下洗いし、その後始めて洗濯石鹸で通常の方法で洗うべきである。感謝の祭儀の終わりに残っているどんな小さなご聖体の欠片をも包むことに役立つよう、折り目をハッキリつけて、コルポラーレはアイロンがけすべきである。

プリフィカトリウムについて

 プリフィカトリウムは通常、カリスとともに祭壇に運ばれ、カリスの口から御血を拭きとることやカリス類をきれいにするために使用される。その色は白であるべきである。御血がカリスから拝領され、付属の容器に注がれ、時にこぼれた時はいつでも、プリフィカトリウムはこぼれた御血を吸収するのに使用すべきである。その材質は吸収性があり、容易に洗濯できるものであるべきである。その材質は決して、紙や他の使い捨てることができる素材であってはならない。

 このような役割のため、プリフィカトリウムは常に御血で染みがつく。だから、まずサクラリウムで下洗いし、その後始めて洗濯石鹸で通常の方法で洗うべきである。プリフィカトリウムはカリスの口を拭うために使用しやすいようにアイロンがけすべきである。

マヌテルギウムについて

 ミサの規定によれば、奉納と祭壇の準備の間に司式司祭は手を洗うことになっている。この時に洗うのは(旧ミサのように)指だけでなく、手全体を洗うので、マヌテルギウムは十分に大きく、手を乾かすのに十分な吸水性があるべきである。手拭き布の色や材質は共に指示されていないが、「皿拭き布」、「バスタオル」又は純粋に世俗的に用いられる他の布の外見をさけるように努力を払うべきである。

その他の布類について

 その他の布類もミサで用いられても構わない。御血に虫やその他の異物が入らないようにミサでカリスを覆うためにパラを用いても構わない。パラを染み一つなくきれいに保つために、パラはきちんとした材質でできた着脱可能なカバーで出来ていなければならない。そうすればサクラリウムで容易に下洗いができ、洗濯できる。その日の典礼色又は白色のカリスベールはカリスが準備される前及びカリスが洗浄された後にカリスを覆うために適切に用いても構わない。

擦り切れたリネン類の処分について

 典礼で用いられるために祝別されたものを処分するときと同じく、擦り切れた兆候が見られ、もはや使用することができないリネン類は埋めるか、又は燃やすことで普通は処分されるべきである。

結語

 私たちが聖なるもの(たとえカリス、パテナ、典礼で用いる備品といったものほど重要がないものでも)を取扱う作法は神が感謝の祭儀の度に自らの教会に賜う恩寵に対して私たちが心を開いていることを養い表現するものである。だから、祭壇リンネルを懇切丁寧に扱うことで、教会はキリストの祭壇から受ける価の付けられない贈物への喜びを表すのである。


 この記事が示している通り、たとえその品質がどうであれ、祭壇で用いるために紙製のタオルを用いることで主任司祭は誤りを犯しています。もし主任司祭が説得を拒むようであれば、本件は司教にあげる必要があるかもしれません。

以上

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(感想)
 侍者や香部屋係を担当すると、必ずこの祭壇リンネルの扱いに最初戸惑うものだ。私がかついていた東京・瀬田カトリック教会はフランシスコ会の修道院・神学校が併設されていることもあってか、この祭壇リンネルの管理が極めて厳格で、取り扱いを間違って怒られたことを思い出した。

 祭壇リンネルの扱いが細かすぎるというきらいもあるが、それは全て、御聖体・御血に対する尊敬と謙遜を適切に表すためのものと思えば理屈はつく。人は体と魂をもったものだから、ただ気持ちの上で尊敬していれば、約束事を無視して取扱っても構わないというのは暴論だろう。
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