2011/10/17

10月16日の特別形式ミサの感想

 ブログで告示していたウナ・ヴォーチェ・ジャパン主催の特別形式のミサ。スタッフの一人として関わったが、期待以上に充実したミサであった。

 嬉しかったことが3点あった。

 一点目は多くの人との出会いを持てたこと。ミサ後の懇親会で会った人の中には、遠く宮崎や神戸、仙台、静岡からこの特別形式のミサに与るためだけに足を運んでくださった人がいた。また黒い修道服を着た若い修道士もこのミサに与っているのが見えた。教会の宝である特別形式のミサをより多くの人に知っていただけるよう、周知を行っていきたいと思う。

 二点目は聖歌の出来具合。予想しなかった方々が駆けつけてくれたおかげで、礼拝堂の中は勿論、修道院の入り口まで響く声量で歌いあげられたグレゴリオ聖歌にただただ圧倒された。聖歌隊の方はこの日のために短期間でインテンシブに練習されたと聞く。本当にお疲れさまでした。

 最後に池田敏雄神父からウナ・ヴォーチェ・ジャパンをほめていただいたこと。説教の中で私たちの団体を「典礼や聖歌の研究に熱心な団体」で、私たちの主催するミサを「今後も毎月行う」と言っていただけた。期待に添えるよう、典礼奉仕にまい進するのみである。

 下の写真はミサ前の祭壇の様子。段取りで忙しく、撮れた写真はこれ1枚だけだった。

 ミサ前の祭壇の様子






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2011/10/16

特別形式によるミサの案内(10月)

若葉修道院長フランチェスコ赤波江謙一神父の寛大なる許可により

ウナ・ヴォーチェ・ジャパン主催

ローマ典礼の特別形式による
ロザリオの聖母の歌ミサのお知らせ


(司式アウグスチヌス池田敏雄神父(パウロ会))

10月16日(日) 午後3時より

プログラム
2時半より ロザリオの祈り(告解もできます)
3時より ローマ典礼の特別形式による歌ミサ
ミサ後、ウナ・ヴォーチェ会員との懇親会があります。どなたでも歓迎します。

場所:若葉修道院(東京都新宿区若葉1-5) 地図はコチラ
最寄駅:地下鉄四ツ谷駅

By kind permission of Rev Fr Francis Kenichi Akabae,
Prior of Wakaba SSP house:

Sung Mass in the Extraordinary Form of the Roman rite
for Our Lady of the Rosary


by Fr.Augustine Toshio Ikeda,S.S.P.

Organised by the Una Voce Japan(UVJ)

Sunday 16th October,3pm

Programme:
2.30pm: Rosary; Confessions heard simultaneously
3pm: Sung Mass in the Extraordinary Form of the Roman rite
Refreshments with UVJ members will follow in nearby restaurant. All people welcome.

Location: Wakaba SSP house, 1-5 Wakaba, Shinjuku-ku, Tokyo. Find location here.
Nearest underground: Yotsuya
2011/10/01

聖体拝領の時に名前を呼ぶことについて

 カトリック系のニュース通信社Zenit(ゼニット)英語版の名物コーナー、「典礼質問箱」からの翻訳をUPする。今回は聖体拝領に関する質問で、2011年8月30日の記事から(原文はコチラ)。
 なお、訳文中で引用のあるローマ・ミサ典礼書の総則の翻訳には日本語公式版の表現を借りた。

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質問
 私は終身助祭です。聖体を配布する時、拝領者の名前を呼ぶこと、例えば「メアリー、キリストのからだ」という具合なのですが、これは問題があると知らされました。主任司祭はこれを習慣的に行っています。これは適切で合法なものでしょうか?(米国ペンシルバニア州、アレンタウン市、R.Jさん)

回答
 明確な禁止はないと知っていますが、この習慣はローマ・ミサ典礼書の総則に記されているように単純で落ち着きのある、本来の儀式とは調和していません。

161 パンだけの拝領であれば、司祭はパンを取り上げて一人ひとりに示し、「キリストのからだ」と言う。拝領者は「アーメン」と答え、口で、あるいは許可されている場所で拝領者が選択する場合は手で秘跡を受ける。拝領者はパンを受けるとすぐにすべてを拝領する。しかし、両形態の拝領が行われる場合は、後述する規定を守る(284-287参照)。

286 御血の拝領をカリスから飲んで行う場合、拝領者はキリストのからだを受けた後、カリスの奉仕者の前に行って立つ。奉仕者は「キリストの血」と唱え、拝領者は「アーメン」と答える。奉仕者はカリスを拝領者に差し出し、拝領者は自分の手でカリスを口にもっていく。拝領者はカリスから少量を拝領し、カリスを奉仕者に返してから戻る。その後、奉仕者はカリスの縁をプリフィカトリウムでぬぐう。

287 カリスからの拝領が御血にパンを浸して行われる場合、拝領者はパンの小片を入れた容器を持つ司祭に近づき、口の下に拝領用の受け皿を添える。司祭の脇にはカリスを持つ奉仕者が立つ。司祭はパンを取り、その一部をカリスに浸し、それを示しながら、「キリストのからだと血」と言う。拝領者は「アーメン」と答えて、司祭から秘跡を口に受けた後、戻る。

 特別形式のミサでは式文はより洗練されたものですが、拝領者の名前を呼ぶことはありません。

 私たちの主イエズス・キリストの御体があなたの魂を永遠の生命に向かって守りますように(Corpus Domini nostri Iesu Christi custodiat animam tuam in vitam aeternam)

 ですから、拝領者の名前を呼ぶことはローマ典礼の伝統の一部ではありませんし、それ自体は合法な慣習ではありません。それは大変司牧的な行為に見えますが、個人的な要素を不意に挟むことはこの対話の内に内在する信仰宣言を弱めると考える人もいるでしょう。

 聖体を示し、「キリストのからだ」と言う時、司祭、助祭、又は聖体の奉仕者は事実を告げるだけでなく、同意をも求めています。この時、司祭等はキリストの代理人として活動しているので、拝領者は「アーメン」ということで、キリストが真に存在するとう教会の信仰だけでなく、ミサが伴う全てについての教会の信仰も認めるのです。

 個人の名前を呼ぶということで導入された個人的関係の要素は、信仰の対話的宣言をもっと人間的なレベルへと減じるものとして解釈されるでしょう。

 奉仕者は聖体拝領する人すべてを知っているわけではないので、無意識に分裂を惹起することもあるかもしれません。名前を読んでもらわなかった人は気を害するかもしれません。各人の名前を求めることは聖体拝領の儀式の流れを悪くするように思えます。

 同時に、拝領者の名前を呼ぶという伝統を持つ典礼もあることは認めておかなければなりません。ビザンチン典礼では、拝領者は司祭に一人ひとり近づきます。司祭は拝領者に聖体と御血を与えて、こう言います。

 神のしもべ、某は私たちの主、神であり救い主であるイエズスキリストの御体と御血を、あなたの罪のゆるしのため、永遠の命のために拝領する。

 この洗練された式文は、聖体拝領がローマ典礼ほど頻繁でなく、しばしば会衆のうちの数人だけが拝領するというビザンチンの伝統の文脈の中で存在しています。実際、信者が祭壇に近づく前に、司祭が聖体への信仰告白を含む長い準備の祈りを唱えながら、拝領者がいる場合はミサに特別な儀式が追加されます。

 各々の慣習はそれぞれの典礼の中で働いているので、これらの違いに矛盾はありません。

以上
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(感想)
 私がかつて通っていた京都の教会の司祭は、よく私に「アウグスティノ、キリストの体」といって聖体をくれていた。私自身はいい印象をもっていたのだが、確かにマクナマラ神父が指摘するように、個人名を言ってもらえない人はあまりいい気分はしないだろうし、そういう意味では司祭のよかれと思っていることが悪い結果をもたらしかねない慣習なのかなとも思う。

 なお、記事の後半で言及のあったビザンツ式の典礼について、東方帰一教会の助祭からの投稿があったことをマクナマラ神父がフォローしている。それによると、ビザンツ式の典礼では聖体拝領に限らず、秘蹟全般について信徒の名前で呼びかけるそうで、その理由は「あらゆる秘跡は主イエズスとの個人的な出会い」と見なされているからだそうだ。また、聖体拝領の頻度については、ローマ典礼のカトリック信者と変わらないとのこと。
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