2013/06/11

6月の特別形式ミサ

 ウナ・ヴォーチェ・ジャパンの特別形式のミサが今週の日曜日に東京の四ツ谷であるのだが、このミサが「カトリック新聞」の告知版でも紹介されている。

130607告知

 カトリック新聞にも編集方針が合って、有料の広告であっても、編集者のチェックを経なければまず掲載されない。カトリックを冠していればどんな団体のミサでも申し込めば告知してもらえるというものではないのだ。だから、今回カトリック新聞にウナ・ヴォーチェ・ジャパン特別形式のミサの告知ができたことは、日本における特別形式のミサの復興という観点からは一つの大きな前進の印ととらえてよいと思う。

 

 
 
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2013/06/02

「貴婦人と一角獣」展の感想

 たまには宗教と直接関係ない記事を投稿する。「貴婦人と一角獣」展を観に乃木坂の新国立美術館に行く。会場を入ってすぐに6枚のタペストリーの陳列室となっていた。タペストリーの大きさにまず圧倒された。画集で見ていた時に自分の頭で描いていた大きさのイメージを大きく超えていたからだ。

 一枚一枚のタペストリーに近づく。手を伸ばせば触れるほどに近寄れる。タペストリーの意匠は極めて繊細にそして写実的に表現されている。特に背景一面に広がるミルフィーユの花々にそれを感じる。実に多彩で美しい。

 さて、この展覧会ではこのタペストリーを「中世の至宝」と名付けているが、私には余り中世らしさを感じない。例えば、このタペストリーには陰の部分がない。このタペストリーが制作されたのは1500年頃の北フランス又は南ネーデルランド。ホイジンガは15世紀について、生のあらゆる局面に「memnto mori」というテーマが響き渡った時代と、『中世の秋』で表現していたが、このタペストリーには「死」に代表されるような陰の部分を象徴的に示す意匠が欠けている。私の思う中世なら、この世の栄華と同時にその儚さも表現されてこそ中世らしい。

 また別な例をとれば、ラテン語の不在もこのタペストリーに中世らしからぬ印象を私に与える。6枚目のタペストリーに描かれた青地の天幕には「Mon seul desir」とフランス語でモットーが表記されている。ラテン語でなく、俗語のフランス語を用いている点に、私はむしろこのタペストリーが近代のもの、つまり分裂の時代、一つの欧州から国民国家に分裂した時代のもののように思えてならない。

 このタペストリー展をみて、タペストリーの素晴らしさを感じながらも、どこか寂しさを私が感じた理由は、このタペストリーが豊かな中世の文化の色彩を伝えながらも、しかし、その意匠に中世の終わりを感じさせる点が目についたことであった。


貴婦人と一角獣
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