2013/10/23

神の国と地上の国

 10月20日はウナ・ヴォーチェ・ジャパン主催の特別形式の歌ミサに与ることができた。当日は大雨であったにもかかわらず、いつもとかわらない数の参列者がいたことに大変驚くとともに主催者の一員として大いに嬉しかった。

 池田神父は当日の福音書で以下のことを教えて下さった。

イエスの生きていた時代、チェザル、すなわちローマ皇帝に税金を納めるということは大きい決断のいることであった。税を納めるという立場を取れば、それはユダヤ人大衆の人気を失うことであり、他方で税を納めないという立場を取れば、ローマ皇帝への反逆と看做された。そうした時代において、イエスのお答えが「チェザルのものはチェザルに、神のものは神に」という言葉であった。

このイエスの回答は何を意味するのか。それはキリスト信者は社会の一員として、かつ神の国の一員として義務を果たしなさいということになる。ひところ、こうよく言われていた。「教会はもっと社会に開かれるべきだ。私たちは自分の信仰生活にとじこもっていてはならない」と。これは何も昔の日本の信仰が悪かったのでなく、日本において長くキリスト教信仰を公にすることが社会から罰を科せられる時代があったことを考えなければならない。いずれにしよ、縦の関係だけでなく、横の関係が大事である。

チェザル、つまり国や政府は国民生活を守る役割があり、そのために国民は税を納める必要がある。自衛隊なんか要らないという人もいるが、大島の災害を見ても分かるように、自衛隊がいなければ復旧すらままならない現状がある。また尖閣諸島をめぐる争いを見ても分かるように防衛力がなければいけないという場合がある。
神の国の一員としてキリスト信者は自らキリストに倣う者となる必要があるだけでなく、周りの人々も神の国の一員として加えてもらえるよう働きかける義務がある。

いずれにしても私たちが社会の一員として、神の国の一員として働いていけるよう、神様の恵みを求めましょう。


 今年84歳を迎えられた池田神父は戦争体験世代であり、日本の国防については現実主義的な見方をされていることが大変印象的であった。

 気付かされたことは、いま既に神の国は私たちキリスト信者のうちに始まっていて、神の国の民の義務は自らだけでなく、他の人々も神の国に招いて行くことにあるということだ。ウナ・ヴォーチェ・ジャパンはカトリックの伝統の普及・促進を使命としているが、今日の池田神父の説教はこの使命を果たすために自分は何をすべきか、また何をすべきでないかを考える機会になった。

 なお、10月27日(日)に池田神父はウナ・ヴォーチェ・ジャパンとは別の組織の求めで、特別形式のミサをされるとのこと。私は参列できないが、都合の付く方は是非参列してほしいと思う。
スポンサーサイト
2013/10/18

10月の特別形式のミサ

 今週末にウナ・ヴォーチェ・ジャパンの特別形式のミサが四ツ谷である。伝統的な典礼暦では「聖霊降臨後第22主日」にあたる。日曜日は生憎の天気のようだが、悪天候をおしてでも参列する価値が私にはあると思う。

 聖霊降臨後第22主日のミサの福音書はこう言っている。「Quae sunt Dei Deo」(神のものは神に)と。私たちは愚痴が多くなりがちだが、いいことだけを数えてみるとそれなりにあるのではないか。たえず与えられる神の恵みに対して、私たちが神にできうる返事が祈りを通じた賛美と感謝であるなら、私たちができうる最大の返礼がミサであろう。神の恵みが与えられたら、それをミサを通じて感謝する。もっと多くの人に特別形式のミサに参列して、共に神に賛美と感謝をささげたいものだ。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。