2013/11/27

カトリック神学院の「ザビエル祭」(2013年)

 11月23日。日本カトリック神学院の「ザビエル祭」に北町カトリック教会の未就学児グループ「かんがるーの会」の有志を連れて参観した。

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 東京の小教区が他の小教区より恵まれている点の一つは神学生に触れる機会が多いことだと思う。これは神学校の統合で東京に神学生が集められた結果であるが、神学生と付き合うことは大人にとっても子どもにとっても信仰の面で有益だと思う。顔と顔を突き合わせた付き合いによって、心から神学生のために祈ることができるし、司祭職へ召し出しもより身近な存在となるからだ。

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 子どもたちと神学校を訪問し、そこで暮らす神学生と神学校に対して親しみをもってもらいたい。そんな意図で今回の訪問を企画した。一番の懸念点は北町カトリック教会から神学院までの距離であったが、子どもたちは往復とも疲れを見せず、神学院の広い芝生のキャンパスを思い思いに楽しんでくれたので大変うれしかった。

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 家に帰って息子に「神学校どうやった?」と尋ねると、「楽しかった。また行きたい」と答えてくれた。よし、来年もまた行こう!

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神学院の案内ツアーでの添乗員を担当していた上田神学生と記念写真。息子は帰りたくないのかすこし不機嫌。
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2013/11/16

変わらない日本人のキリスト教観

 『維新政府の密偵たち お庭番と警察のあいだ』(大日方純夫著、吉川弘文館、2013)を読んだ感想を共有したい。

 明治維新後も江戸幕府以来のキリスト教禁教策は維持された。但し、キリスト教信仰が禁止されたのは日本人であり、日本に滞在する外国人についてはキリスト教信仰を認めていたため、日本に滞在する外国人宣教師たちが日本人を相手に布教活動を行わないか、その動静を明治政府は探っていた。

 そこで、密偵として「異宗徒掛諜者」が長崎、大阪、東京、横浜、函館に派遣され、彼らは求道者、信者となって宣教師の側に近づき、明治政府にキリスト教の内部事情を報告していた。スパイ活動が盛んであった1871年3月時点で「異宗徒掛諜者」は全国に14名おり、例えば「長崎天主堂掛リ諜者」としては3人が配置されていた。

 興味深い点は、東西本願寺ら浄土真宗の僧侶出身者が自ら志願して「異宗徒掛諜者」となる者が多かったということである。彼らはキリスト教という邪教をくいとめたいという強い信念に裏打ちされていたがゆえにスパイ活動にも積極的であった。宣教師側の記録がないので分からないが、長期間にわたりスパイということは露見しなかったようだ。

 ただし、熱心さが仇になる。文明開化と諸外国の圧力から、明治政府がキリスト教禁教から黙認、そして1873年のキリスト教禁教策撤回へと急速に動いていくなかで、彼らは失望感を味わうことになり、辞職を申し出る者も現れる。制度としての「異宗徒掛諜者」は1875年6月に廃止されることになる。

 元スパイたちのその後であるが、地方の実情を探る密偵として転身するものもいるが、多くはスパイという前歴を隠して、別の場所に活動の場を求めたようである。日本の幼稚園教育の先駆者として知られる関信三もそのような元スパイの一人だということだ。

 この本では大阪と横浜のプロテスタント(耶蘇教)の宣教師に関するスパイの報告が一部紹介されているが、それを見ると、キリスト教の教えを批判するだけでなく、宣教師の高い志を「金石のようだ」と感心し、質素な生活を送る一方で、学校経営や貧者救済にはお金を惜しまない宣教師の社会活動を「御国の教師(日本の宗教家)」とは異なると評価している。明治時代のスパイのキリスト教への評価軸は現代人にも共有されているように思う。

 ちなみにカトリック(天主教)についてはあるスパイの報告では「信者は多いが、愚かな者たちである」と評価され、プロテスタントの方が優れているのでより警戒が必要だと報告している。「新教と旧教」というプロテスタントの視点が、スパイにも共有されている点、明治維新より少し前の時代になるが、英国国教会でのカトリックらしさを見直すオックスフォード運動との比較という点でも興味深い。
2013/11/04

川越で伝統を考えてみた

 三連休の初日である土曜日に川越を家族で訪れた。電車の便が良いので、自宅から川越駅まで40分ほどで到着。そこからバスで10分ほど乗ると、昔ながらの蔵造りの商家が並ぶエリアに。菓子屋横丁であれこれ買い食いしながら、古い町並みの散歩を楽しむことが出来た。

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 京都には点で古い建物が残っているが、面で残っている所はほとんどないと思う。例えば、室町のあたりをみても、江戸時代の商家の隣に、マンションが立ち風情がない。事実とは違うかもしれないが、京都で生まれ育ったものの印象ではそう思う。今回訪れた川越は京都より古い町並みの中での散策を楽しむことが出来る。

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 昔からのものが保存され、それが町の活性化に結び付くには、ハードとしての建築、町並みがあるのは勿論、ソフトとしてそれを支える技術であったり、住人の意識が必須なのだろう。特に住人の意識、つまり古い家や街並みでその場所で現代生活をおくるうえでの不便があっても、それらを愛しながら生活する気持ちが一番不可欠なように思える。そうした住人の愛着感が感じられてこそ、テーマパークで再現された古い家や街並みにはないものだから、観光客にとって大いに魅力的に映るからだ。

 翻って、ウナ・ヴォーチェの活動も考えてみた。カトリック教会における伝統の維持、促進という点で、ウナ・ヴォーチェでは特別形式のミサのソフト面、とくに聖歌であったり、侍者の技術がある程度蓄積している。またハード面において、聖堂こそ所有しないが、祭服、カリスといったものも揃ってきた。手前味噌にはなるが、会の歴史が僅か2年程度と考えれば、及第点を与えられると思う。

 ウナ・ヴォーチェの会員が伝統に従って信仰生活を続けることに愛着をもてること。これが伝統の普及という点で大切になっていくのだろう。今まではラテン語やミサの規則を追いかけるだけ、つまり伝統の保存で手一杯であった。だが、特別形式のミサを毎月1回お奉げし、それに与ることを繰り返すことで、ようやく特別形式のミサについてお奉げすることも与ることも会員にとっては余裕が見えてきたように思える。この余裕を活かすことができればと切に思う。

※川越カトリック教会

 すっかり辺りが暗くなっていたが、帰り道に川越カトリック教会の前を通ると、明かりがついていたので、聖体訪問を行った。小さな駅のような外観は立ちよりしやすい雰囲気でとても気に入った。教会入り口の玄関ホールを右に行き、扉を開くと、そこが主聖堂だ。切妻屋根からの照明が柔らかい印象の教会。全てのベンチには跪き台が設置されていて、聖堂で静かに祈ることができた。

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