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2011/07/02

ロザリオをネックレスとして着用することについて

 カトリック系のニュース通信社Zenit(ゼニット)英語版の名物コーナー、「典礼質問箱」からの翻訳をUPする。今回は2011年6月14日の記事から(原文はコチラ

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質問
 ロザリオをネックレスとして着用している人々を見たことがありますし、宗教のクラスである5年生の子供にそれは罪かどうか尋ねさせたことがあります。私は彼女にそれ自身が罪とは思わないが、ロザリオは素晴らしい祈りであり、聖母に最も嘉されているものだから、ネックレスとして着用することは尊敬を払ったものではないし、(ロザリオの祝福の有無にかかわらず)あまり敬虔でもないと思うと答えました。すると女の子はすぐに私のロザリオブレスレットについて「ブレスレットのようにそれを着けるのはどうなの?」と尋ねられました。装飾具では今日至るところにあるように思える十字架やロザリオ「もどき」があるにで、これはいい質問でした。私たちは少女たちに何と答えたらよういでしょうか?(米国カンザス州、レブンワース市、J.M.さん)

回答
 このトピックに関する規則に最も近しいものはカトリック教会法1171条に見出せます。

 信心又は祝福によって聖なる崇拝のために取っておかれた聖なる品々は敬意を持って取扱わねばならない。たとえその品々が個人に属するものであっても、それらは世俗的又は不適切な使用に任せるべきではない。

 おそらくこの規定はロザリオというよりむしろ、カリスや祭服といった典礼における崇拝に用いられる聖なる品々を主に言及しているので、この規定は必ずしも今回のケースに適用できるわけではないのでしょう。同時に、聖なる品々を敬意を持って取扱うべきであると暗示していることはロザリオや、十字架、メダイ、同様の品々にも論理的に拡張することができます。

 また、聖なる品々を着用することはそれを世俗的又は不適切な方法で使用することと同じではありません。実際、多くの修道会ではロザリオを修道服の一部として、通常は帯から吊るして、着用しています。信心の目的で信徒がロザリオを着用したという歴史的な事例も幾つかあります。例えば、聖ルイ・ド・モンフォールはその著作『ロザリオの神秘』の中で、ガリシアとレオンの王アルフォンソ6世の生涯からのエピソードにおいてこの習慣の肯定的な結果を示しています。

 私はこの問題に答えることの鍵は聖パウロの中に見出せると考えています。

 ですから、あなたがたは食べるにしても、飲むにしても、また何かするにしても、すべて神をほめたたえるためにしなさい(一コリント 10章31)。

 言いかえると、キリスト者の人生において無関心又は無関係な行動は一切あるべきでないということです。

 もし信仰の表明として、又はロザリオを祈るための気づきとして、又は「神をほめたたえるため」の同様の理由ゆえにロザリオを着用するならば、これに反対するものは何もありません。ロザリオをただ宝飾品として着用することは敬意を払ったものではないでしょう。

 この後者の点はロザリオを首周りに着用する際、気をつけなければならないことです。何より、未知というわけではないのですが、それはカトリックの共通の習慣ではありません。

 第二に、比較的最近、ある議論の分かれる公人がネックレスとして、必ずしも「神をほめたたえるため」ではなく、ロザリオを着用するというファッションを大衆化したことがあります。米国やそのほかの場所の地域の中には、首周りにロザリオを着用することが、ギャングと関係あることを識別する印になっているところもあるようです。

 それ故にあるカトリック信者が良い目的のために首周りにロザリオを着用しても構わないのですが、信者は自らが属する文化においてこの習慣が肯定的に理解されるのかをよく考えるべきです。誤解が生じることがありうるなら、この習慣を避けることが望ましいのでしょう。

 同時にカトリック信者として私たちはもし他の外的要素が他の方法で明確に示していないなら、ロザリオを着用する人々の良い意向を想定すべきです。

 ロザリオのブレスレットやリングについても、この場合は意義に関して混乱の危険は少ないのですが、同じ理由付けがも守られます。それらは決してただの宝飾品ではなく、信仰のしるしとして着用されています。

 いくつかの情報源によると、小さい一重のロザリオ・ブレスレットまたはコンタツは容易に隠せ、望ましくない関心を引き起こさずに用いることができたので、迫害の時代に発達したそうです。これらは特に第一次世界大戦の間、前線のカトリックの兵士の間で人気となりました。

 ロザリオを眼に見える形で着用することよりずっと重要なことは、祈りのために、宣伝も含めて、ロザリオを実際に使用することです。そうすればそれは真に「神をほめたたえる」ためになされたことととなります。

以上
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(感想)
 キリスト信者の身だしなみについて、マクナマラ神父は二つの基準のバランスが大切だと説明している。つまりその身だしなみが「神をほめたたえる」ためなのかどうかという主観的な基準と、その身だしなみが所属する文化の中で肯定的に見られているかどうかという客観的な基準とのバランスで判断することが必要ということだ。私には大変参考になったので、今回この記事を翻訳した次第である。
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コメント

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ネックレス・ロザリオ

ロザリオって、堂々と装飾品として販売されてますよね。
玉の数とか関係なく。
あれらを付けている方はカトリックではないのでしょうけど、あれを見てキレイ♪と思う女性信徒は多いでしょうね。

日本の女性タレントで、ロザリオをファッションとして着けている方がいないか、かえって興味が湧きました(^ー^* )フフ♪

No title

勉強になります♪
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