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2011/07/19

中国政府公認教会のミサについて

 カトリック系のニュース通信社Zenit(ゼニット)英語版の名物コーナー、「典礼質問箱」からの翻訳をUPする。今回は2008年4月29日の記事から(原文はコチラ)。

質問
 私は1カ月ほど、中国の上海に滞在する予定です。カトリック教会は私が中国政府公認のミサに行き、聖体を拝領することを許しているのでしょうか?(アメリカ、ジョージア州アセンズ、T.W.さん)

回答
 中国の政府公認教会の状況は非常に複雑になっていますが、カトリックの旅行者は現在の教会の不幸な状況に対して特別の承諾を示すことなしに、その教会のミサに出席し、聖体拝領を行うことができます。

 『エキュメニズム新指針 その原則と規定の適用』(1993年)ではカトリック信者が正教会又は聖座と一致していない東方諸教会の典礼で聖体を拝領することを許しています。

 中国の「公式」カトリック教会は、不法な状況にあるにもかかわらず、ほとんど常に教皇様と完全な一致を望んでいます。普段はミサで教皇様のために祈っています。そして、この教会の中には中国政府と聖座の両方から何らかの方法で認められてきた場合もあるのです。だから、こうした教会のミサで聖体を拝領することは可能になります。

 教皇様の中国のカトリック信者に宛てた2007年5月の手紙で示されたように、聖座は中国の教会との和解を図り、全ての中国のカトリック信者と適切な関係を築くことができるよう、中国政府との理解を進める道を探そうと積極的に働きかけています。

 中国を旅行するカトリック信者は確かに聖座と完全に一致している共同体のミサに出席するべきです。しかし、これは必ずしも可能又は賢明ではないので、「公式教会」に出席することを選んでも構いません。けれども、主日の義務を果たすためにそうする義務はありません。

 教会の長い歴史を見れば、司牧者と信徒が教会への忠誠と政府への忠誠との間で選択せざるを得ないという状況がしばしばありました。例えば、フランス革命の間、全ての聖職者は法によって、「聖職者基本法」に忠誠の宣誓を行うことを強いられました。

 革命の信念から宣誓を受け入れたものもいましたが、恐怖からそうしたものも多く、また戦争と危機の時代に自らの信徒が秘跡を受ける機会を取られたままにならないようにするため、宣誓を行ったものもいました。変化は主に規律的なものであって、教義的な性格ではなかったので、取るべき正確な態度について教会当局にも混乱がありました。

 勇敢にも宣誓を拒否したものは国家から科せられる法的な罰則が増えていくことを受け入れました。最初は罰金と自らの司教区や小教区から追い出されることであったのですが、革命がテロルへと進行するにつれ、宣誓を拒否したものは亡命、投獄及び処刑へと急速に直面することになりました。

 神は被害を受けたものの犠牲に報われました。フランスの教会は革命の灰から立ちあがり、ほとんど100年にわたって成長を享受します。その成長を特徴づけていたものは、多くの新しい修道会や国際的な慈善団体の設立、強い宣教熱、聖体と聖心への刷新された信心、そして多くの聖なる人々、例えばジャン・ヴィアンネ、アントワーヌ・フレデリック・オズマン、リジューのテレジアでした。

 弱い人々への最終的な審判は神のみが下せます。多くの人にとって、宣誓は革命の過酷さから保護するものにはなりませんでした。きっと多くの場合、殉教者は弱い人々のためにも死に、彼らが悔い改め忠実さへの道に帰るために、恩寵を勝ち得たのでしょう。

 中国で起きていることは一部分でしか同じでなく、その被害はずっと長引いているのですが、十字架のもつ救いの考え方はもう一度実りを生み、忠実なもののの犠牲は無駄にはならないと私たちは確信できます。

以上

(感想)
 中国で滞在している日本人カトリック信者も少なくないだろうから、この翻訳記事で安心した人がいれば幸いである。 
 
 今回の記事ではフランス革命時のカトリック教会を取り上げていた点が面白いと思った。時の政府の干渉によって教会が迫害され、引き裂かれそうになっている事態は過去にもあったこと、そして神の恩寵は迫害のゆえに増し加えられ、豊かな実りをもたらすという事実は、キリシタンの歴史を持つ日本のカトリック信者にとっては実感できるものではないだろうか。
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