2011/07/27

派遣の祝福時の跪きについて

 カトリック系のニュース通信社Zenit(ゼニット)英語版の名物コーナー、「典礼質問箱」からの翻訳をUPする。今回は2011年6月28日の記事から(原文はコチラ


質問
 ミサの最後の部分で、私の小教区の司祭は立ったまま、「頭を垂れ、祈りましょう」と言うと、全会衆は直ちに跪きます。司祭はそれから拝領祈願を唱え、派遣の祝福を行い、閉祭りの挨拶を告げます。お知らせはちょうど拝領祈願の前にあります。それから、私たちは全員立ちあがり、閉祭りの歌を歌います。ミサの閉祭時は跪く又は立つのどちらかを選ぶことができるのでしょうか?(イギリス、マンチェスター市、R.D.さん)

回答
 ミサ閉祭に向かう通常の流れは以下の通りです。聖体拝領の後、司式者は座り、沈黙のうちに感謝の祈りを捧げ、好むところに従い、残りの信者は座るか跪きます。この間に、感謝を奉げるための黙想を招いてくれる聖歌を歌っても構いません。

 それが終わったのち、会衆と司祭全員が立ち上がり、司祭は拝領祈願を歌うか唱え、会衆はアーメンとそれに答えます。

 お知らせがある場合、この拝領祈願の後に行います。必要であれば、会衆に座るように招いても構いません。

 司祭が通常の祝福(「主は皆さんとともに。(中略)全能の神の祝福が皆さんのうえにありますように」)を与える場合、会衆は立ったままで祝福を受け、そのまま閉祭の挨拶、閉祭の歌と続きます。

 会衆のための祈り(prayer over the people)又は荘厳な形式の祝福を与える場合、助祭、助祭が不在時には司祭が会衆に「神の祝福を受けるよう、頭を垂れて祈りましょう」と呼びかけます。会衆は立ったまま頭を垂れ、一方で司祭は会衆に向けて手を伸ばし、祈りを歌うか唱えます。

 祝福の各式文の終わりに、会衆はアーメンと答えます。祈りの終わりに司祭は「全能の神の祝福が皆さんの上にありますように・・」と唱えます。

 会衆が司祭の祝福を受けるために跪くべきであるとするルブリカは全くないのですが、これが頭を垂れることの代わりとして合法的な慣習とされている地域もあるようです。

 荘厳な形式の祝福は一般的に大祝日や他の重要な節目に用いられます。また四旬節や復活節といようような典礼における大切な季節の間は特に毎主日に用いても構いません。

 ローマミサ典礼書の新しい訳(訳注:英語版のこと)における新しい変更点の一つが、2012年の四旬節からですが、四旬節において日ごとに異なる会衆のための祈りを司祭が唱えてもよいというものです。これらの伝統的な祈りは典礼改革の前のミサ典礼書には乗っていたのですが、教皇パウロ6世によるミサ典礼書からは省かれたものでした。これらの祈りはラテン語規範版の第三版(2001年)で再び取り入れられました。

 荘厳な祝福と会衆のための祈りの主要な相違点は、荘厳な祝福では3種類の式文が一般的に用いられますが、会衆のための祈りで用いられる式文は一つだけです。他の相違点は文体です。祝福は会衆に向けられており、会衆の上に神の祝福があるよう祈願します。会衆のための祈りは直接神に向けられており、神の恩寵を願います。

 例えば、昇天祭で使用される式文の一つは以下のようなものです。

イエズスが栄光に輝き、御父の右に座られていることを皆さんは信じています。約束された通り、世の終わりまでイエズスが皆さんとともにおられる喜びを感じることができますように。

他方で来年からの復興した会衆のための祈りでは、四旬節第一主日で以下のように祈ります。

主よ、私たちは祈ります、惜しみない豊かな祝福があなたの民の上にありますように。艱難において希望が育ち、誘惑において美徳が強められ、永遠の贖いが確実なものとなるために。私たちの主キリストをとおして。

以上

(感想)
 寄せられた質問にある、派遣の祝福時の跪きは、マクナマラ神父ははっきりと答えていないが、特別形式の典礼における動作を一般形式のミサに取り入れたものなのか、昔からの習慣がそのまま残っているのかのどちらかなのだろう。質問者がこの美しい慣習に好意的なのかどうか分からないが、私はこのような慣習がある小教区は素晴らしいものだと思う。

 今回の記事の翻訳で、実はミサ典礼書のラテン語規範版の第三版に、「会衆のための祈り(Oratio super populum)」が復興したことを実は初めて知った。伝統回帰が今や典礼の最新の流行であるようにすら思える。日本におけるカトリック教会がこの流行に敏感になってほしいと強く願うところである。
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コメント

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「新」典礼の刷新w

ミサが少しずつ正常化しているようですね(^ー^* )フフ♪

この影響が日本にも届くことを望みますが、貴サイトにアップされている「ウニベルセ・エクレジア」が中央協議会では翻訳するかどうかすら話し合われていないとうのが現実。

しかし、他国の典礼は直訳に近い翻訳が採用されているという話も聞きます。
どうか日本に対しても、聖座が厳しく眼を光らせてくれることを祈ります。

コメントありがとうございます

>りゅう様

一般形式のミサを愛することと、特別形式のミサを愛することは一直線でつながっていると思います。これは私自身の体験からもそうです。

ご指摘のあった聖座の介入を期待しつつ、いま私たちができることは、典礼を愛する人、それは伝統と正統な権威を愛する人なのですが、が日本でもっと増えるような活動を地道に飽きずにやっていくことだと思います。

種まく人のたとえではないですが、聖座や日本の司教団、司祭から素晴らしい種がまかれても、土がたがやされていなければ、種は育たないと信じているからです。

地元小教区で7の70倍の種をつけるような働きを期待しています!

基本はRickも。。。

ウチの教会の、Rickが陰で「跪き隊」と呼んでいる数少ない信徒さんたちがいらっしゃいますが、司祭の「通常の祝福」の時はどなたも跪いておられません。

実は、Rick家のみ基本的に跪いています。
ただタイミングを外す時があって、その時は深く頭を下げていますが…

興味深いのが普段「聖変化」で立っておられる年配の信徒さんを見ていると「通常の祝福」の時に膝が床に着きそうなくらい身をかがめておられる方が数名いらっしゃいます。まるで「跪きたくて仕方が無い」と言った感じ。。。
大阪教区では過去に「立ちなさい!」と司祭から怒られた傷を背負っておられる方々がいらっしゃいます。
現在はそのような事を言う司祭はいないと思いますが「この教会は跪いたらアカンねん」と話されます。
司祭により傷を負わされた方々のためにもお祈りくださいね。
Rickはこのような方々を通してイエズス様より「闘う力」をいただいています。

「荘厳な祝福」に関してはウチの教会でも提案してみます。
一応「典礼委員」ですから。

コメントありがとうございます

>Rick さん

>「荘厳な祝福」に関してはウチの教会でも提案してみます。

一般形式のミサでは、この「荘厳な祝福」は典礼暦や聖母聖人の祝日に合わせて用意されており、その数はざっとみて数十あります。

豊富な典礼の式文が用意されていることが一般形式のミサの大きな 特徴ですが、現実の運用面では、ミサ典礼書のそうした性格は考慮されることなく、いつも同じ式文しか使わない「化石化した典礼」が幅を利かしていて実に嘆かわしいですね。

教皇様と共に「改革の改革」を続ける動きをとりましょう。
Rickさんの働きを期待していますよ♪