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2011/09/19

ミサの中心について

 カトリック系のニュース通信社Zenit(ゼニット)英語版の名物コーナー、「典礼質問箱」からの翻訳をUPする。今回はミサと祭壇に関する質問で、2011年8月16日の記事から(原文はコチラ)。
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(質問)
 ミサにおいて、中心となるものはどこでしょうか?誰なのでしょうか?何なのでしょうか?祭壇ですか?聖櫃ですか?司式者ですか?私がこう質問するわけは、とりわけ、不和(不満)が生じ、私たちの小教区の一つで深刻な対立が起きているからです。司祭の入れ替わりの激しいことも会衆の混乱を助長しています。というのはそれぞれ自身の信念や確信に基づいて、ある人はこう言い、別の人はああ言うからです。私がこう質問する別の理由は、しばしばサンクチュアリの設えが違うことがよくあるからです。私たちのケースで言うと、聖櫃は祭壇に向かって右手にあるので、香部屋から司式者の椅子、祭壇及び朗読台に達する前に祭壇の前を通り過ぎます。どうか最新の典礼の考えとあなたの見解を教えてください。(リベリア、モンロビア市、V.C.さん)

(回答)
 感謝の祭儀における真の唯一の中心はキリストとその救いの神秘であり、残りすべてはその周りをまわっています。

 キリストが中心であることはミサの中で様々な方法で表現され、それは教会建築の構造においても表現されています。

 建築的観点から言えば、祭壇が中心であるべきです。アメリカ司教協議会は『生きる石で造られた(Built of Living Stone)』という文書の中で祭壇の中心性を説明しています。

§56 聖体において、典礼に集う人々はキリストの生と死と復活を記念し、現存させる儀式的な犠牲の食事を祝い、「主が来られるまでその死を」述べ伝える。祭壇は「聖体が全うされる感謝の中心」であり、その他の儀式がその周りに位置づけられる中心点である。カトリック教会は「祭壇はキリスト」であると教えているため、祭壇の構成は主が体現されていた高貴さ、美しさ、力強さ、単純さを反映すべきである。新しい教会ではただ一つの祭壇だけを設け、「信者に一人のキリストと教会の唯一の聖体を表すようにする」。

§57 祭壇は内陣において自然と焦点となり、「司祭がその周りを歩きやすいよう独立して立っているべきであり、ミサは会衆と向き合って奉げるべき」である。一般的には祭壇は床に固定された土台をもち、生きた石(ペトロの手紙一 2章4節)であるイエズス・キリストを示すために、自然石でつくられた机の部分をもつ。机の脚(支え)は「ふさわしく強固なものである限りはどんな種類の素材で」作っても構わない。アメリカでは固定式祭壇に自然石以外の素材を使っても構わない。ただし、それらの素材が価値のあるもので、強固で、適切に作られおり、地元裁治権者のさらなる判断におかれる限りにおいてである。新しい教会を建立する小教区は祭壇の種類や新しい祭壇に適した素材に関する司教区の指示に従わなければならない。

 §58 祭壇の大きさ又は形に決まったものはないが、それは教会と調和のあるものであるべきである。大きさや形は祭壇の性質を、つまり犠牲を奉げる場所として、キリストが共同体を養うためにその周りに共同体を集めた食卓として、反映されるべきである。祭壇の寸法について考える際に、小教区として内陣ある他の主な造作が祭壇とと調和しているのかを確かにしたいところだろう。祭壇の机の部分は司式司祭、助祭、そこで奉仕する侍者が集まれるだけの大きさがあり、ローマミサ典礼書とホスチア及び葡萄酒が入っている祭器具を支えることができるようにすべきである。効果や中心となる品質は祭壇の位置、大きさ又は形だけが関係しているのではなく、祭壇のデザインとその設計が価値のあることも関係している。祭壇は内陣の中心に、そして教会の中で注意の中心となる所に設置すべきである。

 §59 感謝の祭儀の間、祭壇は教会のあらゆる場所から見えなければならないが、祭壇の位置を高くして典礼に集う人々から視覚的又は象徴的分断を引き起こすほどであってはならない。祭壇をどう高くするかは、車いすが必要な奉仕者又は他の障害を持った奉仕者が祭壇に近づくことができるかのかという点から見出すことができるだろう。

 §60 教会の歴史と伝統の中で、祭壇はしばしば聖人の墓の上に設置されたり、聖人の聖遺物が祭壇の下に安置されてた。祭壇に聖人の聖遺物が存在することは、祭壇の上で祝われる聖体は聖人たちに聖性をもたらした恩寵の源であるという教会の信仰を証言している。殉教者又は他の聖人の小さい聖遺物を祭壇石に置き、それを祭壇の机に安置するという慣習は第2ヴァチカン公会議以降変更された。殉教者や他の聖人の聖遺物は祭壇の下に安置しても構わない。ただし、聖遺物の大きさは人体の一部であると認識できるほどの大きさであり、疑いのない真正なものに限られる。聖遺物は祭壇の上や祭壇の机の上の祭壇石の中に安置されることはもはやない。


 この文書はアメリカに適用されるものですが、この点に関する教会の普遍的な教えや指針を反映しています。

 ミサの間、中心となる他の場所も祭壇に関連付けらています。御言葉の祭儀では朗読台や感謝の祭儀のために祭壇に登る前後に祈りで共同体を導く場所である司祭席があります。

 聖櫃はミサの間、関心が向けられる中心ではありません。たとえミサ以外の崇拝のために聖櫃は教会建築の中で目立った場所、中心をしめるべきでものであるとしてもです。ミサの間、聖櫃が内陣の中に位置している場合、ローマミサ典礼書総則274項はこう示しています。

 司祭と助祭及び他の奉仕者は祭壇に近づく時と祭壇から離れている時にひざまずく。ただし、ミサの祭儀そのものが行われている間は除く。

 もし聖櫃が内陣にあり、祭壇の後ろにない場合、奉仕者は聖櫃に向かって跪きます。

 司祭はキリストのペルソナを通じて働くのですが、必ずしもミサの中心ではありません。司祭が自分に注意が向くことを避け、キリストの神秘に会衆を導こうとする時、司祭は実際最も印象的に見えます。事実、祭服や聖歌の使用、特別な位置は司祭自身と言うよりむしろ司祭の奉仕職を強調することを意味しています。司祭は神と人とをつなぐ橋(pontifex)であり、橋は遠目からは称賛を受けるものかもしれませんが、役に立つのは私たちが橋を踏みつける時だけなのです。

以上
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(感想)

 ミサで焦点が当たるべきはキリストとその救いの神秘であるが、モノでいえばそれは祭壇である。なぜなら祭壇はキリストの犠牲をつうじた救いが実現される場であるからだというのが上の記事のエッセンスだろう。完全に同意である。第2ヴァチカン公会議後の典礼改革で、ほとんどの教会で祭壇が新造されたが、「主が体現されていた高貴さ、美しさ、力強さ、単純さを反映」したように見える祭壇の少ないこと!この記事を読んだ方が祭壇への関心を持ってくれれば幸いである。
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