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2013/11/16

変わらない日本人のキリスト教観

 『維新政府の密偵たち お庭番と警察のあいだ』(大日方純夫著、吉川弘文館、2013)を読んだ感想を共有したい。

 明治維新後も江戸幕府以来のキリスト教禁教策は維持された。但し、キリスト教信仰が禁止されたのは日本人であり、日本に滞在する外国人についてはキリスト教信仰を認めていたため、日本に滞在する外国人宣教師たちが日本人を相手に布教活動を行わないか、その動静を明治政府は探っていた。

 そこで、密偵として「異宗徒掛諜者」が長崎、大阪、東京、横浜、函館に派遣され、彼らは求道者、信者となって宣教師の側に近づき、明治政府にキリスト教の内部事情を報告していた。スパイ活動が盛んであった1871年3月時点で「異宗徒掛諜者」は全国に14名おり、例えば「長崎天主堂掛リ諜者」としては3人が配置されていた。

 興味深い点は、東西本願寺ら浄土真宗の僧侶出身者が自ら志願して「異宗徒掛諜者」となる者が多かったということである。彼らはキリスト教という邪教をくいとめたいという強い信念に裏打ちされていたがゆえにスパイ活動にも積極的であった。宣教師側の記録がないので分からないが、長期間にわたりスパイということは露見しなかったようだ。

 ただし、熱心さが仇になる。文明開化と諸外国の圧力から、明治政府がキリスト教禁教から黙認、そして1873年のキリスト教禁教策撤回へと急速に動いていくなかで、彼らは失望感を味わうことになり、辞職を申し出る者も現れる。制度としての「異宗徒掛諜者」は1875年6月に廃止されることになる。

 元スパイたちのその後であるが、地方の実情を探る密偵として転身するものもいるが、多くはスパイという前歴を隠して、別の場所に活動の場を求めたようである。日本の幼稚園教育の先駆者として知られる関信三もそのような元スパイの一人だということだ。

 この本では大阪と横浜のプロテスタント(耶蘇教)の宣教師に関するスパイの報告が一部紹介されているが、それを見ると、キリスト教の教えを批判するだけでなく、宣教師の高い志を「金石のようだ」と感心し、質素な生活を送る一方で、学校経営や貧者救済にはお金を惜しまない宣教師の社会活動を「御国の教師(日本の宗教家)」とは異なると評価している。明治時代のスパイのキリスト教への評価軸は現代人にも共有されているように思う。

 ちなみにカトリック(天主教)についてはあるスパイの報告では「信者は多いが、愚かな者たちである」と評価され、プロテスタントの方が優れているのでより警戒が必要だと報告している。「新教と旧教」というプロテスタントの視点が、スパイにも共有されている点、明治維新より少し前の時代になるが、英国国教会でのカトリックらしさを見直すオックスフォード運動との比較という点でも興味深い。
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