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2008/02/16

四旬節?(2008年)



(十字架の道行き 第二留 レオン大聖堂 ニカラグア)

 
十字架の道行 第三留 「イエズス始めて倒れ給う」

 主はすでにむち打たれ、いばらの冠に刺貫かれ給えるほどに、傷あとただれ破れ、あけの血に染みて歩み給いければ、衰弱のあまり足下よろめき、ついに十字架の重きに堪えずして、傾きかがみ、やがて大地に倒れ給う。

 主イエズス・キリスト、主を倒しまいらせしは一にわれらなり。われら罪に陥りたるによりて、主はかかる苦難を受け給うなれば、われら深くこれを悲しみ奉る。この御苦難の功力によりて、われらを罪より救い給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン

(カトリック中央協議会編『公教会祈祷文』(昭和43年)より引用)

 受難にあうイエズス・キリストに天主の人類に対する愛を認めること、これはキリスト教徒とその他の人々とを分けるものだと思う。私もある瞬間までキリストの受難には興味がなかった。むしろ、それは福音書で語られている雄弁で権威を持ったイエズスの姿を否定するようなもので、否定したいぐらいのものだった。

 この瞬間がいつ来たのか、よく覚えていない。
ある時からこの十字架に倒れるキリストに愛の深さを感じ取ることが出来たのだ。
この愛は親が子供のために払っている苦労を子供が始めて知ってしまった時に親に感じる気持ちと似ているような気がする。
多くの人がこの天主の愛に気付いて欲しいと思う。
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