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2008/02/22

四旬節 5(2008年)



(十字架の道行き 第五留 レオン大聖堂 ニカラグア)

 
十字架の道行 第五留 「イエズス、シレネのシモンの助力を受け給う」


 主はかく歩み行き給うほどに、御気力次第に衰えてすでに危うく見え給えり。されど来りて助けまいらする者もなく、かえってさまざまにののしりたたきたりければ、今ははや堪え難くして沈み入り給わんとす。人々は折しもそこに来合わせたるシレネのシモンに、強いて十字架を助け担わせ、なおも主を駆りて歩ませ奉れり。

 主イエズス・キリスト、主の十字架を担いて、力弱り給いしは、これ全くわれらの罪の重きが故なり。われらこそシモンに代りて十字架を担うべき者なれば、今より一切の苦難を、主の十字架の分としてわれらに受けしめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン

(カトリック中央協議会編『公教会祈祷文』(昭和43年)より引用)

 祈りにあるシレネ(Cyrene)、より一般的な言い方ではキレネは現在の北アフリカのリビアにある地方を指す。敬虔なユダヤ人として過ぎ越し祭りに参加するためにはるばるアフリカからエルサレムへと巡礼に来たのであろう。このシモンの前にイエズスは何の前触れもなく現れた。しかも血まみれで十字架を担わされた罪人の姿で。喜んで十字架を担いだわけでは当然ない。

 教会の伝統によると、このキレネのシモンは後に最初のキリスト教徒になったという。苦しむ救い主を助けたということで、彼はどれだけ多くの信者からもてはやされたことであろう!しかし、イエズスを助けたとき、キレネのシモンに神の子を助けたという意識はあったのだろうか?

 イエズスはいつも栄光をおびて私の前に現れるわけではない。むしろキレネのシモンの前に現れたような姿でご自分を示されるのであろう。「世の小さきもの」にキリストを見出し、キレネのシモンがキリストを手助けしたように、私も彼らを手助けできるように。信仰の目をお与えください。

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