2011/02/27

聖変化の時にひれ伏す?

 カトリック系のニュース通信社Zenit(ゼニット)英語版の名物コーナー、「典礼質問箱」をご存じだろうか?レジナ・アポストロルム大学の典礼学教授マクナマラ神父が全世界の読者から寄せられたカトリックの典礼に関する質問に答えるというものだが、これが非常に勉強になる。

 できるだけ多くの日本人カトリック信者とシェアしていきたいので、この記事を定期的に翻訳していこうと思う。とはいえ、私の英語もまだまだアマチュアの域をでないものなので、翻訳がおかしくなっている部分が多々あるとおもうので、その場合はご指摘いただければ大変ありがたい。

 記念すべき第1回目は2011年2月8日の記事から(原文はココ

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質問
 ある地元の巡礼地でミサに与りました。そのミサはヒスパニック系の巡礼者のミサでした。10代の侍者はスータンにサープリスを着ていました。ミサが奉献文のエピクレーシスを迎えた時、この侍者は立ちあがり、祭壇の前に歩み出て、しばらく手を合わせたまま立ち止り、それから聖変化の間ずっと床の上に伸び、ひれ伏した状態でした。ひれ伏す姿勢について、叙階式以外で、通常のミサにおいて何か決まりはあるのですか?
(米国アラバマ州Huntsville、P.N.さん)

回答
 私は侍者がこの姿勢をとるのをミサの中で、ヒスパニック系のものでもそれ以外のものでも決して見たことがないです。これは個人的な信心の行為か、限定的な地方の習慣のどちらかではないかとだけ推測するのみです。

 ローマミサ典礼書総則43条にあるように、聖変化中の信者における尊敬を示す普遍的な動作は跪くことです

 このひれ伏す姿勢が聖体の神秘に対する深い信仰を驚くべき形で示しているとしても、それは、信者全員が同じ姿勢をとるべきだという点で、控えた方がよいでしょう。ミサ典礼書総則42条によれば、「全参加者によって共通の姿勢が守られることは、聖なる典礼に集うキリスト信者の共同体の成員の一致を示す印である。それは参加者の心情の表現であり、また心情を育むものだからである」。

 このひれ伏す姿勢は深い謙譲の気持ちと敬意を最も表現する印です。だからアブラハムやモーゼは神の前でうつ伏せの姿勢を取ったのです(創世記17章3節、出エジプト記34章8節)。病人はイエズスに癒しを求める時、ひれ伏して敬意を示したように(マタイ8章2節)、崇拝の気持ちをイエズスに示したい人々もひれ伏しました(マタイ14章33節、28章9節)。ヨハネの黙示録もまた、神の前でひれ伏す人々(4章10節)と獣の偶像にひれ伏す人々(13章4節)を対比しています。

 別の場合には、ひれ伏す姿勢は悔い改めを表すものとなります。例えば、ヨゼフの兄弟たちは尊敬の印として、許しを求める時、ひれ伏しました(創世記42章6節、43章26節及び28節、44章14節)。

 6世紀から8世紀のフランス及びドイツの古代ガリア典礼では、ミサの始まる前にひれ伏す姿勢が用いられていました。この習慣はまだ聖金曜日の日に見られます。その日、司式者は主の受難を祝う最初に裸の祭壇の前でひれ伏します。その他の場合は、ローマ典礼においてはこの姿勢は相対的に稀になります。そしてまさに滅多にないがゆえに、ひれ伏すことはその直後に来る時の重要さを強調することに役立っているのです。

 ひれ伏す姿勢の使用例は叙階式における聖人の連祷の間のものが最もよく知られています。他の特別な儀式の同じような時に、例えば修道院長の祝福の時に、ひれ伏す姿勢は用いられています。また処女の祝別式でもひれ伏す姿勢は用いられます。終生誓願の際にひれ伏す姿勢を採用している修道会もあります。

 多くの国で、この姿勢は熱心な私的祈りの際に、悔い改めと自らに苦行を科す行為として用いられています。まもなく福者となるヨハネパウロ2世はクラコフ大司教の時も、ヴァチカンでも個人用礼拝堂の祭壇と聖櫃の前でひれ伏して祈ることがたびたびあったそうです。

以上
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感謝♪

典礼質問箱の翻訳、ありがとうございます(^-^)
英語の翻訳ができない自分にとって、このような情報提供はホントにありがたいです。

これからも少しずつ翻訳を続けていってくださいね。
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