2011/03/12

聖体拝領時の祝福について

 カトリック系のニュース通信社Zenit(ゼニット)英語版の名物コーナー、「典礼質問箱」からの翻訳をUP。今回は2009年3月24日の記事から(原文はここをクリック)。なお、途中で引用されている公文書の日本語訳は私訳である。

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質問

 アメリカでは聖体を受けることのできない人々に祝福を与える慣習が急速に広がっています。テキサス州の私の小教区では、聖体奉仕者が幼い子供や訪問者の頭の上に十字を切る慣行が聖体よりも大切になっているように見えます。多くの人が私にこれは「歓迎されざるもの」であり、やめるべきだと助言を与えてくれています。私は典礼の集まりで祝福に関する儀式書も、ミサ典礼書もこの慣行を想定していないと指摘してきました。助祭として、私はこの傾向に憂慮していますが、私の小教区の長は前任者の慣習を改めることに躊躇しています。事実、結婚式や葬式で、この慣習は司式者たちによって非カトリック信者向けに勧められている次第です。感謝の祭儀の中に挿入されたように見えるもの、おそらく聖体拝領において私たちがキリストを受け取ることを真に望ませ、理解させることの妨げとなるように見えるこのことについて、あなたの見解を伺えると大変ありがたいのですが。(米国テキサス州、D.I.さん)

回答

 このテーマについては2回過去に触れることがありましたが(2005年5月10日及び24日)、この慣習については疑わしいという見解を示したところです。同時に司教たちがこのこの慣習について賛成・反対の意見を述べていることから、この慣習の典礼法規上の位置づけがグレーであることも指摘したところです。

 ですが、最近、インターネット上の複数のサイトに聖座がこの慣習について否定的な見解に傾きつつあることを示した文書が公開されています。この資料は典礼聖省次官のアンソニー・ウォード神父(マリア会)の署名入りの、2008年11月22日付けの書簡で(Protocol No.930/08/L)、個人からの照会に対する回答として発出されています。

 私的な回答であるため、この書簡は法的拘束力を伴った規定ではなく、書簡が明示している通り、決定的な回答でもありません。けれども、この慣習の正当性について有益な考えを示してくれているものであり、聖座の考えを伺うことができるものです。

 書簡には「本件は聖省において注意深く検討を行っているもの」で、「目下のところ、聖省は以下のような見解を述べるに留まりたい」とあります。

1 ミサ典礼上の祝福は、聖体拝領が終わったのち、ミサの最後に各人に適切に与えられる。

2 平信徒はミサにおいて祝福を与えることはできない。この祝福は司祭の権能に属する(参考 『司祭の役務への信徒の協力に関するいくつかの問題について(1997年8月15日)』第6条2項;教会法1169条2項;カトリック儀式書『祝福について』(1985年)18項)

3 さらに片手又は両手で按手することはそれ自体秘蹟的な意味を有するがため、ここでは不適切であるが、聖体拝領に代えて、聖体を与える人々によってそのような動作がとられることははっきりと控えられるべきである。

4 使徒的勧告『家庭 愛といのちのきずな』の84項では「たとえ司牧的な配慮によるものであっても、いかなる司祭も離婚し、再婚した人々にこの種の儀式を行うことは禁じられている」とある。ここで懸念されていることは聖体拝領に代えてこの種の祝福を行うことは、離婚し、再婚した人々がある意味でカトリック信者としての正常な状態に戻ったという印象を与えてしまうということである。

5 同じ方法で、聖体拝領を許されていないその他の人々について教会法は既に明確にしているように、これらの人々は聖体拝領に近づくことも、祝福を受けることもすべきでない。これは非カトリック信者及び915項で揚げられている人々(すなわち、破門制裁下にある人々又は聖務停止にある人々及び明らかな大罪に頑なにとどまる人々)が含まれている。


 書簡自体は法的拘束力をもつものではないですが、いくつかのポイント、例えば平信徒の奉仕者が典礼上の祝福を与えることを禁じる2番目の項目は、既存の法律の再確認に過ぎず、すでに拘束力をもっているものです。

 またこの書簡はあらゆる全ての状況、例えば、質問者が述べている幼い子供のケースについて取扱っていませんが、これらの祝福について注意深く様子を見る姿勢を取っている司教区もあります。例えば、米国アトランタ大司教区の典礼局は「大司教区は聖体拝領時の祝福を禁じる方針はない」としつつも、主任司祭達に「典礼におけるその意義合いについて、より決定的な判断が得られるまで、この慣習を促進することを避けることが望ましい」と示唆しています。

以上

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(感想)
 日本だけでなく、キリスト教国のアメリカでも同じ事情だったということが驚きだった。聖体奉仕者による祝福を問題視しない日本において(注)、それは禁じられたものであるという事実を多くの日本人に知ってもらいたく、この記事を翻訳した。なお、善意で祝福を行っている聖体奉仕者を非難するつもりは毛頭ないし、聖体奉仕者からの祝福は効果がないと主張しているわけでもないので、悪しからず。

注・・例えば、大阪大司教区典礼委員会のサイトでは、聖体奉仕者による未信者への按手は「聖霊の働きによって相手に祝福を祈る行為ですから、聖体奉仕者が行っても全く問題はありません。」と明記している。
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コメント

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聖体奉仕者による祝福

うちの神父様に聖体奉仕者による祝福について質問をしたことがあります。
『司教団もハッキリ見解を示さないんだよ~。グレーなんだよな~。
』とのこと。
しかし、教会法ではハッキリ禁じられているのですね。
それが何故、こんなにもまかり通っているのかが不思議です。

あ、ひょっとして、大阪教区の場合は「祝福を与えているのではなく、祝福を祈る行為です」という説明なのかも知れませんね。
だとしても「按手」には問題があるでしょうけど・・・。

コメントありがとうございます

りゅさん、いつもコメントありがとうございます。

>何故、こんなにもまかり通っているのかが不思議です。

同感です。

善意で祝福を与えている聖体奉仕者が実は教会法を破っているということを知ったら、どう思うか。本当に気の毒でなりません。


≪臨時の≫聖体奉仕者による祝福

うちは話題の大阪大司教区のカテドラル…
聖体拝領前に「未信者で祝福を希望される方は、聖体奉仕者ではなく司祭の列に御並びください」とアナウンスが入ります。
それでも分からずに(飛び込みの未信者なら当然かも?)聖体奉仕者の列に並ぶ人がいて、その場合は聖体奉仕者が自分の片手を相手の肩にのせて小声でブツブツ言っています。
というか、拝領者が多い時のための≪臨時の≫聖体奉仕者のはずなんですけどね。。。会衆が少ないときでも必ず配置されています。

変なことばかりですね。

コメントありがとうございます

Rickさん、コメントありがとうございます。

この問題は3つに分解できると思います。

すなわち、
①ミサの出席者が少数にもかかわらず、聖体奉仕者を用いている
②司祭による未信者の祝福
③信徒による祝福

③は完全にクロなので、これをまず正常にしていきたいです。
その意味で、大阪カテドラルのアナウンスはまだましかなと思いました。