2011/03/21

感謝の祭儀が短すぎる?

 カトリック系のニュース通信社Zenit(ゼニット)英語版の名物コーナー、「典礼質問箱」からの翻訳をUP。今回は2010年7月6日の記事から(原文はここをクリック)。

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質問

 十分に奉献文の意義深さを理解できなかった幼い時でさえ、奉献文が読まれる間はとりわけ聖なる時だから、跪き、注意をそらさず、司祭と祭壇に集中するようにと教わったものです。何十年も経って、奉献文が読まれる時の荘厳さや神聖さが無くなってしまったのを見てとても悲しい気持ちです。一時間程度の平均的なミサでは最初の30分は朗読と説教に費やされます。普通、共同祈願から奉献文最後の「アーメン」まで、大部分の小教区では平均6分ほどです。ミサ後の連絡の方がもっと時間を費やしているところもあります!瞬きするぐらいよりも早いこのペースをいくらか遅くするには何をすべきですか?(インド、ムンバイ、L.E.さん)

回答
 
 質問者は重要な司牧的問題を提案してくれています。ミサの挙げ方がしばしばバランスを欠くため、最も聖なる瞬間にが早すぎるという印象が残りやすくなっています。

 これは答えるのが簡単ではありません。現在の主日のミサの構造、つまり、グロリア、3つの朗読、説教、信仰宣言、共同祈願を伴ったものであり、朗読と説教の二つにけ多くの時間が割かれることは避けられなくなっています。

 ただこれは新しいものでもありません。ローマ帝国の当局者に宛ててミサを説明した、殉教者聖ユスティニアヌス(100年~165年)は、聖書朗読と説教は時間の許す限り続くと述べています。その後に続く感謝の祭儀の叙述は比較的簡素で短いものです。もっとも迫害される教会にふさわしく力強いものなのですが。

 だから、バランスの問題はミサの各部分に費やされる時間を均等にすることでなく(可能でもないですし、望ましくもありません)、感謝の祭儀にふわわしい重みを与えることで解決するものです。その場面の荘厳さにふさわしく、注意深く典礼を準備すればこの困難は克服できると信じています。現在の典礼は音楽や儀式の使用について幅広い選択肢を許しているので、御言葉の典礼においてミサを荘厳にしようとすることに全努力を傾注することを比較的容易に避けることができます。

 感謝の祭儀の間、信者の注意や聖なるものへの感覚を増すために使えるポイントを手短にお示しします。

1 主日には第二奉献文を用いないこと

 祝日に用いることを禁止されていませんが、この奉献文は平日のミサの典礼書に特に含まれていたことを心にとめてもらいたい。全く短いこの奉献文が主日に用いられると、ミサが急ぎ足ですすんでいるように見えてしまいます。

2 もっと音楽を使用すること

 ミサの通常文を全て歌うこと、例えば、叙唱、サンクトゥス、聖変化、信仰の神秘、最後のドクソロジー(訳注:「キリストによって、キリストのうちに、全ての誉れと栄光はあなたのもの」の部分)とアーメンの部分、主祷
文、「国と力と栄光は永遠にあなたのもの」、アニュスデイなどを歌うことで、荘厳さが増し、感謝の祭儀の重要性を強調することができます。

3 香とローソクを使用すること

 荘厳な場合に、香は予め決められている場面で用いても構いません。たとえ一般の主日に入堂、福音、奉納の場面で香が用いられなくても、奉献文の間、香はローソクと一緒に用いても構いません。奉献文の時に香を使うことはミサの時間が長くなることもなく、視覚的に聖なるものへの感覚を養い、典礼の動作に注意を集中させることができます。

4 司祭はルーチンを克服するように努めること

 頻繁に唱える祈りに入り込むルーチンを克服し、ミサが真に神との出会いになるよう努めなければなりません。教皇ピウス11世(在位1922年-1939年)はかつて叙階したての司祭に司祭の初ミサが生涯でもっとも熱のこもっていないものになるように望むと語ったことがあります。教皇様は司祭が凡庸になることを促しておられるのではなく、価の付けられない聖体を祝うことにますます熱を込めていくことを促しておられたのでした。

以上

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(感想)
いいミサに与れたと思えるのは、確かに司祭が感謝の祭儀を大切に扱っていることが分かるミサに与れた時のように思う。私の所属する北町教会の天本神父はその点、感謝の祭儀に注意を払っているのが分かる。彼の主日のミサは完全な歌ミサで、奉献文も第二奉献文だけでなく、第三、第四奉献文をたびたび用いている。典礼聖歌も典礼暦に合わせて変えるようにしている。ミサのルーチン化を防ごうとする神父に感謝!
 
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コメント

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荘厳さ

僕は現代のミサも充分に認める立場にあります。
現代のミサでも、上記のようにすることで、それなりに荘厳さを出すことは可能ですよね。
とてもいいアドバイスだと思いいました。

うちの神父様は第二奉献文しか用いていませんでした。
『必要なことが凝縮されているし、長くないのでミサがダレなくて良い』というお考えでした。
来年度からうちの主任になるベテラン神父様に、第三奉献文も用いていただけないかお願いしてみます♪

頑張りましょう!

りゅうさん

コメントありがとうございます。

>うちの神父様は第二奉献文しか用いていませんでした。
>必要なことが凝縮されているし、長くないのでミサがダレなくて良い』とい>うお考えでした

同じ典礼文、同じ典礼聖歌しか用いず、教会が用意した典礼の豊かさを感じられない典礼を「化石化した」典礼というそうです。

熱心なミサを奉げる神父を応援していきましょうね!